落合氏 中日次期監督候補に急浮上 地元名古屋で待望論

[ 2013年9月30日 06:00 ]

中日次期監督候補に急浮上した落合氏

 中日の次期監督候補に前監督の落合博満氏(59=野球解説者)が急浮上したことが29日、分かった。今季はここまで4位に低迷し、6年間続いていたクライマックスシリーズ(CS)進出も逃した。高木守道監督(72)の今季限りでの退任もすでに決定しており、急ピッチで後任の選定作業を急いでいた。監督在任8年間で球団初の連覇を含むリーグ優勝4回、日本一1回の手腕に、再建が託される可能性が出てきた。

 球界の常識を覆す「オレ流野球」で在任8年間で5度も日本シリーズ進出を果たした落合氏が、再び中日の監督としてユニホームを着る可能性が出てきた。2年契約が切れる高木監督の退任は既定路線で、球団側は水面下で新監督探しに着手。立浪和義氏(44)らOBを中心に人選を進めてきたが、ある球団関係者は「今、このチームを立て直せるのは落合さんしかいない」と断言した。

 今季はエース吉見らケガ人が続出し、ここまで63勝75敗3分けで、12年ぶりのBクラスとなる4位に低迷。主力の高齢化が進み、11年の落合監督退任後は若手も伸び悩んでいる。高木政権ではファンサービスを前面に押し出しながら観客動員の面でも減少に歯止めが利かず、この日本拠地最終戦を終え、95年以来の200万人に届かなかった。そんな中、地元・名古屋では落合氏の再登板を望む声が高まっていた。

 現役時代に3度の3冠王を獲得した落合氏は就任1年目の04年に「補強はしない。現有戦力で10%の底上げをすれば必ず優勝できる」と宣言し、チームをリーグ優勝に導いた。07年にはリーグ2位からCSを勝ち上がり、日本シリーズでは53年ぶりの日本一を達成。10、11年の球団初の連覇を含むリーグ優勝4度と、チームに革命を起こし、常勝軍団に育て上げた。

 ベンチでは感情を表に出さない采配で、相手ベンチを威圧。選手の負傷箇所や、批判を口外しない「秘密野球」を徹底するなど、チームの弱点を一切表に出さずに選手たちを守った。圧倒的な練習量と、徹底した選手の管理で根本から鍛え直す手法は、チーム再建に最適の人材ともいえる。監督人事の最終決定権を持つ白井文吾オーナーとの信頼関係も厚い。現在は野球評論家として活躍しながら各地で精力的に講演を行い、毎回満員になるほどの人気を誇る。

 現在の球団フロントは11年に落合監督を退任させた経緯があり、再要請するには球団内での調整が不可欠。もし就任となれば、コーチ陣も当時のメンバーの多くを招集する可能性が高く、退任の要因となった人件費の高騰にどう対処するかなどの問題はあるが、再建を託すには「オレ流指揮官」しかいない。第2次落合政権の誕生が現実味を帯びてきた。

 ▽11年の落合監督退任 9月22日、球団定例取締役会の緊急議題として「1軍監督交代」が満場一致で承認。白井オーナーからの通告に落合監督は「はい。分かりました」と即答した。同日「新しい風を入れたい」(佐藤良平球団代表)との理由で、高木氏の次期監督就任が発表された。当時2位だったチームはその後、首位ヤクルトを逆転して2年連続のリーグV。CSも制したが、日本シリーズはソフトバンクに3勝4敗で敗退した。10月22日に行われた退任会見では、今後について「今はゆっくり眠りたい」としながらも、将来の監督復帰については「縁があれば、やります」と意欲をにじませていた。

 ◆落合 博満(おちあい・ひろみつ)1953年(昭28)12月9日、秋田県生まれの59歳。秋田工から東洋大入学も中退。東芝府中を経て78年ドラフト3位でロッテ入団。87年に中日に移籍して、日本人初の1億円プレーヤーに。FAで94年に巨人、97年に日本ハムと渡り歩き、98年現役引退。82、85、86年と3度の3冠王を含む、首位打者、本塁打王、打点王をそれぞれ5度獲得。04年に中日監督に就任し、8年間で4度のリーグ制覇を果たした。07年は日本シリーズ優勝。11年に野球殿堂入りした。

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