桐光 松井 手本はマー君 三振より勝てる投手にこだわるワケ

[ 2013年9月28日 06:00 ]

プロ志望を表明した松井は白球に「夢」と書く

 昨夏の甲子園で1試合22奪三振の大会記録を樹立した桐光学園(神奈川)の松井裕樹投手(3年)が27日、神奈川県川崎市の同校で記者会見し、プロ入りを正式に表明。同日、神奈川県高野連にプロ志望届を提出した。来月24日のドラフト会議では、複数球団による競合が確実。「12球団OK」の姿勢を示した松井は、奪三振にこだわらず「勝てる投手」を目指すことを宣言した。

 無数のフラッシュを浴びながら制服姿の松井が立ち上がった。少しこわばった表情を見せた後、黄金の左腕とは反対の右手でマイクを握り、しっかりとした口調でプロ入りを宣言した。

 「幼い頃からの夢であったプロ野球という舞台で挑戦したいという意思が固まり、プロ志望届を出させていただくことを表明します」

 テレビカメラ13台、約90人の報道陣の前で、松井が初めて「プロ」という言葉を発した。昨夏の甲子園で一躍注目を集め、憧れから目標に変わった世界。8月30日から開催された18Uワールドカップ(台湾)で高校日本代表のエースとして国際舞台を経験したことで「プロ野球で自分の力を試してみたい」と帰国後に決意が固まった。桐光学園から直接プロ入りすれば初めてとなる。

 理想の投手像は勝てる投手だ。松井と言えば、最速149キロの直球と伝家の宝刀スライダーを武器に三振を取るイメージが強いが「三振には本当にこだわりがない。勝てる投手になりたい」と言った。それには理由がある。思い出の一戦には、今夏の神奈川大会準々決勝の横浜高戦を挙げた。全国優勝を目標に掲げながら3失点で敗れ、甲子園出場を断たれた試合だ。18Uでも、自身が先発した米国との決勝戦に敗れて世界一を逃した。「最後は悔しい思いばかり…」。それ以来「勝てる投手」を意識するようになった。

 前夜は球団創設9年目で初優勝した楽天の試合をテレビ観戦した。クギ付けになったのは、9回から救援した田中の投球。「凄いボールを投げていた」。ピンチになるとギアが入り、ここぞの場面で三振を奪う。開幕から無傷の22連勝を記録する田中の姿に、プロの最高峰のレベルを実感した。松井も今春からスライダーに加え、チェンジアップを習得するなど投球の幅を広げてきた。「抜いたり、押したり引いたりしないと上の舞台で通用しない」。田中の投球は松井の理想型でもある。

 「希望(の球団)というのはない。プロ野球という舞台に挑戦したい」と12球団OKの姿勢を打ち出した松井。2017年にも開催される第4回WBCへの出場も目指す。「日本人である以上、目標にしてやっていきたい。感動とか夢を与えられるような希望に満ちた選手になりたい」。高校球界No・1左腕の夢は無限に広がっていく。

 ◆松井 裕樹(まつい・ゆうき)1995年(平7)10月30日、神奈川県生まれの17歳。小2から元石川サンダーボルトで野球を始め、山内中では青葉緑東シニアに所属し、3年時に全国大会優勝。桐光学園では1年春からベンチ入りし、同年秋からエース。2年夏の甲子園では1試合22奪三振、10連続奪三振の大会記録を樹立。遠投105メートル、1メートル74、75キロ。左投げ左打ち。

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2013年9月28日のニュース