加藤コミッショナーが辞意表明 批判避けるため先手打った?

[ 2013年9月20日 06:00 ]

寂しげな表情を見せる加藤コミッショナー

 薄笑いを浮かべて会見場に現れた加藤コミッショナーは、ひたすら淡々と質問に答えた。任期を全うできずの辞任。努めて無表情を装う姿に無念さがにじみ出た。

 「統一球問題で野球ファン、関係者に大変ご迷惑をお掛けしたのが大きな要因。(東京五輪開催も決まり)スポーツが前に進むべき時期に、なるべく早く身を引いた方がいいと判断した」

 辞任理由をそう説明したが、セ、パの優勝争いが佳境に入った今、球界内には「なぜ、この時期に?」の声が上がる。辞任表明のタイミングについて、27日に統一球変更の経緯などを調査する第三者委員会の最終報告があることを明かして「早くフレッシュな体制でスタートを切った方がいいと思った」とした。しかし、ペナントレースの盛り上がりに冷や水を掛けた感は否めない。

 加えて第三者委の最終報告が厳しく責任を問う可能性もあり、批判の矢面に立つのを避けるため先手を打って辞任したとも受け取れる。外務省出身の元エリート官僚。その高いプライドと球界のバランス感覚に欠けた側面が、後味の悪い引き際にしてしまった。

 08年7月に就任して以来、球界のグローバル化を掲げて改革に取り組んできた。ただ、具現化したものは少なく、今春のWBCでも監督人事が遅れ、3連覇を逃す一因となった。そんな中で最大の功績だったのが統一球導入。加藤氏の肝いりで自身のサインまで入れた統一球が皮肉にも辞任の引き金となった。

 「第三者委員会には知ってること全て申し上げた。問題がこういう展開になったのは非常に遺憾です」。その言葉に球界のリーダーとしての威厳は全くなかった。

 ◆加藤 良三(かとう・りょうぞう)1941年(昭16)9月13日、秋田県生まれの72歳。東大から65年に外務省に入省。オーストラリア、エジプト、米国大使館勤務などを経て、アジア局長、外務審議官などを歴任した。01年10月から08年5月まで駐米大使を務め、08年7月に第12代コミッショナーに就任した。

 ≪加藤氏辞任までの経過≫

 ▼6月11日 NPBと労組・日本プロ野球選手会の事務折衝で、下田邦夫事務局次長が公式戦で使用する統一球の仕様を今季から「飛ぶボール」に変更していたことを公表。

 ▼同12日 加藤良三コミッショナーが緊急会見で「私が知ったのはきのう(11日)で、知っていたら公表していた」などと話し、隠蔽(いんぺい)の意図はなかったと強調。自身の進退についても「不祥事ではない」と辞任を否定。

 ▼同13日 NPBに電話、メールなどで計4000件を超える抗議が殺到。

 ▼同25日 NPBが第三者機関「統一球問題における有識者による第三者調査・検証委員会」の設置を発表。委員は弁護士3人で構成し、特別アドバイザーに元巨人の桑田真澄氏が就任。

 ▼同26日 巨人・渡辺恒雄球団会長が統一球問題について「(加藤)コミッショナーの責任はない」と発言。

 ▼同27日 選手会が、コミッショナーの辞任を要求する要望書をNPBに提出。

 ▼同28日 都内のNPB事務局で第三者委員会が初会合。9月末までに調査報告書を提出する方針を示す。

 ▼7月1日 加藤コミッショナーが会見以来、初めてNPBに出勤。「わたしの評価というのは結局、歴史が(証明)する」と話すと同時に、あらためて辞任を否定。また巨人・渡辺恒雄球団会長が次期コミッショナーについてソフトバンク・王貞治球団会長を指名。王会長は「体力的に無理」。

 ▼同10日 統一球の無断変更問題発覚後、初のオーナー会議。9月をめどに次期コミッショナーの選任方法を決定する方針が決定。

 ▼同19日 労組・日本プロ野球選手会が札幌市内で臨時大会を開き、加藤コミッショナーへの「不信任」を全会一致で確認。

 ▼9月11日 9月末の第三者委員会の報告を受け、10月2日に臨時オーナー会議を開催することが決定。

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2013年9月20日のニュース