イチローを陰で支える「4000万円」と「4000円」の投資

[ 2013年8月23日 06:00 ]

<ヤンキース・ブルージェイズ>初回1死、日米4000安打を放ち、観客の声援に応えるイチロー

ア・リーグ ヤンキース4―2ブルージェイズ

(8月21日 ニューヨーク)
 孤高の天才打者がまた偉業を打ち立てた。ヤンキースのイチロー外野手(39)は21日(日本時間22日)、ブルージェイズ戦の初回に左前打を放ち、プロ22年目で日米通算4000安打(日1278、米2722)を達成した。メジャーでも4256本の最多安打記録を持つピート・ローズと、4191本で「球聖」として知られるタイ・カッブの2人しか到達していない「神」の領域。今年10月に40歳となるイチローは年齢と闘いながら前人未到の5000安打を目指す。

 試合開始から13分後、歴史が刻まれた。初回1死。鋭い当たりが左前に抜けた。その直後の光景が、イチローには信じられなかった。ヤンキースのナインが祝福のためにベンチから飛び出してきた。試合は5分近くも中断した。

 「半泣きになりました。全く想像していなかったので。僕のためにゲームを止めて時間を僕だけのためにつくってくれるという行為は、想像できるわけがない。4000という数字が特別なものをつくるのではなく、自分以外の人たちが特別な瞬間をつくってくれるものだと強く思いました」

 鳴りやまないヤンキースタジアムの大歓声。背番号31は一塁ベース上で、ヘルメットを取って応えた。20歳で「鈴木一朗」から「イチロー」となった天才打者も白髪が目立つようになった。39歳で4000本という数字にたどり着いた。

 達成したのは日本の数字を合わせた通算記録。それでもファンは総立ちとなった。4000安打という記録の偉大さは変わらない。メジャーで達成したのは2人だけ。ピート・ローズは42歳11カ月、タイ・カッブは40歳7カ月で到達したが、イチローは39歳10カ月で足を踏み入れた。「切りのいい数字というのは1000回に1回しか来ない。それを4回重ねられたことは満足している」。原動力は、8138度の凡退にあると言った。

 「4000のヒットを打つためには僕の数字で言うと8000回以上は悔しい思いをしている。それと常に向き合ってきた。誇れるとしたらそこじゃないかと思います」

 徹底した自己管理と準備。もはや代名詞となっているが、本人は「当たり前のこと」と言い切る。オリックス時代の94年に日本球界初のシーズン200安打を達成し、04年マリナーズではシーズン最多安打記録の262安打。10年には前人未到の10年連続200安打を果たした。イチローの22年間は「当たり前」を極限まで洗練させ、ヒットを打つことを「当たり前」に近づける過程でもあった。

 日本から持ち込んだ、特製トレーニングマシンによる独特の調整法にこだわる。関節の可動域を広げ、筋肉の柔軟性を高めるとともに、疲労を軽減する。今季からはニューヨークの自宅、ヤンキースタジアム、フロリダ州タンパのキャンプ施設と3カ所に置いた。総額は約4000万円。筋力アップを図るものは一台もない。このマシンを起床後、練習前、練習後、試合中に使い、筋肉の柔軟性を保っている。

 既存の体づくりを続けても思うようにプレーできないと気付いたのが98年ごろ。試行錯誤のかいあって、メジャー12年間で故障者リスト入りは09年の胃潰瘍による1度、欠場は41試合しかない。マシンを持ち込めない遠征先では、ネット通販で購入した1個4000円のストレッチ用ボールが「友達」だ。ロッカーの前では暇さえあればこのボールを使ってストレッチに励む。「4000万円」と「4000円」の投資が、4000安打を陰で支え続けた。

 周囲には「50歳までプレーできればいい」と語っている。試合後に5000安打達成の可能性を問われると、こう答えた。「精神や肉体の状況がどうなるか分からないが、年齢に対する偏った見方が僕以外のところでなければ、僕は可能性はゼロではないと思う」。既存の概念を、そのバットで打破し続けてきたイチローが、次なる目標を定めた。

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