楽天 斎藤 43歳奮投ホールド メジャー帰りも「言われたところで」

[ 2013年7月31日 06:00 ]

<楽・西>力投する楽天2番手・斎藤

パ・リーグ 楽天9-4西武

(7月30日 盛岡)
 「じぇじぇじぇ!」の43歳だ。楽天は30日、2位・西武と対戦。5回に1点を勝ち越すと、6回から斎藤隆投手が救援。2回を無失点に抑えて2ホールド目を挙げ、西武の反撃の芽を摘み取った。これで、チームは前カードのロッテ3連戦から4試合連続の逆転勝ちで球団記録の貯金を16に伸ばした。海の向こうでも「優勝請負人」として活躍した日米合わせて22年目のベテラン右腕の渋い働きで、2位西武とのゲーム差を5と広げた。

 盛岡の夜空に向け、43歳が雄叫びを上げた。7回2死二塁で打席はヘルマン。2ボール2ストライクからの9球目、141キロの直球で空振り三振。白星が付いたわけではない。それでも試合の流れを引き寄せたのは斎藤の熱投だった。

 「甘いコースに変な球を投げることはできない。一球一球、気持ちを込めて投げた」

 21歳年下の先発・則本からバトンを受け、1点リードの6回から2番手でマウンドへ。1死一塁からスピリーを遊ゴロ併殺に仕留めて一塁ベンチに戻ると、首脳陣から「あと1イニング」の続投指令を受けた。7回は1死から炭谷に右翼フェンス直撃の二塁打を浴びたが、鬼崎、ヘルマンの後続を抑えると、直後に打線が一挙4点を奪って試合の大勢が決まった。昨オフから、さらに東北から愛される球団になるため、「東北ろっけん活動」を始めた。選手が東北6県の県庁を訪問、野球塾のコーチも務めた。その一つ、岩手県で快勝した。

 球宴休みだった今月18日。仙台市内のホテルで自身の後援会が発足した。地元の有力企業の関係者や同級生ら集まった約250人のうち、半数以上が顔見知りだった。仙台市出身で東北福祉大を卒業するまで過ごした土地。その後は横浜、さらにメジャー時代も含めて20年も仙台を離れ、一昨年に東日本大震災が起こった際も遠い米国にいた。会員には被災者も多くいる。冒頭で壇上に上がると涙をこらえることができず「本当に自分は幸せ者です…」と語り、頭を下げた。

 百戦錬磨のベテランも気持ちは「新人」だ。チームは仙台から盛岡に移動した前日の夜に同市内の焼き肉店で決起集会を開催。斎藤はビール瓶を手に各テーブルを回り、積極的に若手に声を掛けた。裏方スタッフの分まで鉄板で肉を焼くなど気配りを続けた。7年間の米国生活を生かして、外国人選手ともコミュニケーションを取る。グラウンド内外でチームに不可欠な存在になっている。

 首位を快走するチームは4連勝で貯金16。2位に5ゲーム差をつけた。星野監督も「(斎藤)隆が2イニングを抑えて流れを持ってきたな」と目を細めた。

 「勝っていても負けていても関係ない。自分は言われたところで頑張ります」。目指すは球団創設9年目での初優勝。仙台で生まれた斎藤が野球を始めた少年野球チーム名もくしくも遠見塚ゴールデンイーグルス。斎藤がブルペンを支え、楽天の、そして東北の「復興のシンボル」となる。

 ≪米では3球団でPSマウンド≫斎藤は大リーグ時代に3球団でポストシーズンのマウンドを踏んでいる。06年ドジャースと09年レッドソックスではワイルドカードで、08年ド軍と11年ブルワーズでは地区優勝で進出して登板(10年ブレーブスではワイルドカードで進出も故障で登板なし)。通算10試合で1勝0敗、防御率1・69の好成績を残した。中でも、当時41歳だったブルワーズでは6試合で7イニングを無失点だった。

 ≪朝ドラで流行/岩手県の方言≫「じぇじぇじぇ」は岩手県の方言で、「ええっ?」と驚いた時などに使う。盛岡市などでは「じゃ」だが、三陸地方では「じぇ」とされる。宮藤官九郎脚本のNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」で使われ人気が出て、流行語となった。ネット上などでの「顔文字」では、「じぇ」と「J」を掛け合わせた形で表現される。「じぇ」の回数が増えれば「J」も増え、「じぇじぇじぇ」なら「J×3」となる。

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2013年7月31日のニュース