岩倉 天国の名将に届け センバツV監督に贈る1勝

[ 2013年7月17日 06:00 ]

1回2死二塁、岩倉・工藤の適時打で生還した二走・安達(中央)はベンチに戻り笑顔をみせる

東東京大会3回戦 岩倉6―0文教大付

(7月16日 神宮)
 派手なガッツポーズはしない。得点が入っても、選手同士はハイタッチさえしない。それが、伝統だ。97年夏以来の甲子園出場へ、岩倉ナインは高校球児らしい振る舞いで、初戦を突破した。

 天国の名将に届ける1勝だった。岩倉は84年センバツ決勝で当時2年生だった桑田、清原がいるPL学園を破り初出場初優勝を飾った。その試合で指揮を執った望月市男元監督が、13日に肺気腫のため亡くなった。73歳だった。90年に就任した磯口洋成監督は「望月さんからはいろいろな時に声をかけてもらった。頑張って勝ち上がっていけるようにしたい」と語った。前日の練習後には部員全員でグラウンドで黙とうをささげた。大会規定により喪章を着けて戦えなかったが、代わりにスタンドの控え部員たちがTシャツの左袖に喪章を着けて声援を送った。

 初回2死二塁から先制の中越え二塁打を放った安達主将は「(望月)監督さんの思いをこの夏の大会にぶつけていこうと思った」。自身は3月に左目の網膜剥離の手術を受け、現在も左目の視力は0・2程度しかない。そんな中、4番に座って3安打。父・淳さん(48)は「望月さんは岩倉の名を全国に知らしめてくれた方。私もテレビで見ていました。息子も悔いのないようにやってほしい」と、あの春以来の甲子園優勝を願った。

 野球部寮には全国制覇した当時の新聞の切り抜きなどが貼られている。17日の通夜には磯口監督が参列予定。葬儀のある、18日には4回戦を戦う。岩倉ナインはひたむきなプレーで勝利をささげる。

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2013年7月17日のニュース