ヤクルト 阿部 10年ぶり勝った!国内最長ブランク、遠山超えた

[ 2013年7月4日 06:00 ]

<D・ヤ>10年ぶり勝利の阿部(左)を祝福する小川監督

セ・リーグ ヤクルト8-6DeNA

(7月3日 横浜)
 3580日ぶりの白星――。ヤクルト・阿部健太投手(28)が3日のDeNA戦で2番手として4回にマウンドに上がり、打者4人を1安打無失点。直後に打線が逆転に成功し、近鉄時代の03年9月14日のロッテ戦(大阪ドーム)以来となる白星が転がり込んだ。

 国内だけでプレーした投手としては最長勝利ブランク。国内4球団を渡り歩いた苦労人の通算3勝目には10年分の重みが詰まっていた。

 いつ以来だろう。もうすっかり忘れていた勝利の味だ。照れくさそうな笑みを浮かべ、阿部は小川監督が差し出す右手を握り返した。山田から手渡されたウイニングボール。実に3580日ぶりの戦利品だ。

 「率直にうれしい。ルーキー時代からだから。ずっと勝ってないのは分かってた。どんな時もしっかり投げることの積み重ねがきょうだった」

 3点を追う4回にプロ初先発の古野を救援。1イニングを1安打無失点に抑えると、5回に自分の代打に出た飯原が勝ち越し2ランを放ってくれた。逆転で転がり込んだ勝利。「自分の投球をすれば、こういう逆転劇がある」。長いブランクで学んだ阿部流のリリーフ哲学だった。

 最後の勝利は近鉄でのルーキー時代、03年9月14日のロッテ戦(大阪ドーム)。思えば、高卒新人で挙げたその2勝目から長い苦悩の日々が始まった。1メートル84、77キロと細身で長身の体形から「岩隈2世」と呼ばれたが、2年目から伸び悩んだ。「何をしてもうまくいかなかった。少し良くなっても、それが長続きしなかった」

 原因は岩隈ばりの二段モーション。ちょうど2年目のシーズン前に二段モーションが不正投球として厳しく取られるようになった。フォームを見失い、思うように投げられなくなった。「若かったから引き出しもなかった」。04年オフは球界再編で近鉄が消滅。その近鉄の最後の敗戦投手(同年9月27日、オリックス戦)となったのも阿部だった。その後、オリックスへ。阪神へのトレード、戦力外、そしてトライアウトでヤクルト入りと波瀾(はらん)万丈の野球人生を歩んだ。その中で「一年ごと、一試合ごと積み重ねようとやってきた」という。

 3年前に結婚したひとみ夫人(28)との間に昨年2月、待望の長女も誕生した。「路頭に迷わすわけにいかないですからね」。愛する家族の待つ都内の自宅へ、10年ぶり3つ目のウイニングボールを持ち帰った。阪神時代の投手コーチだった遠山を超える国内最長ブランク勝利。「えっ、遠山さんを超えて?珍記録ですね」。その笑顔は、10年前のルーキー時と全く変わらなかった。

 ◆阿部 健太(あべ・けんた)1984年(昭59)9月8日、愛媛県生まれの28歳。松山商では高2夏に主戦として甲子園4強。02年ドラフト4巡目で近鉄に入団。新人の03年は先発で2勝を挙げた。08年にオリックスから阪神にトレード移籍。11年オフに阪神を戦力外となり、トライアウトを経て12年にヤクルトに入団した。1メートル84、77キロ。右投げ左打ち。

 ≪大家(横)は米球界挟んで16年ぶり≫阿部(ヤ)が近鉄時代の03年9月14日ロッテ戦以来となる10年ぶり、3580日ぶりの白星。勝利投手の最長ブランクは10年大家(横)の16年ぶり、5847日ぶりで、阿部は年数、日数ともこれに次ぐ2番目の記録になった。また、大家は米球界での11年間を挟んでおり、国内でプレーを続けた選手としては99年遠山(神)の3507日ぶりを抜く最長ブランクだ。

 ☆阿部の前回白星 近鉄時代の03年9月14日のロッテ戦(大阪ドーム)、プロ4試合目の登板で9回を5安打1失点。最後まで直球と変化球の制球がさえ、好調のロッテ打線から8奪三振。プロ初完投で自身2勝目をマークし、「達成感はある。次も投げる以上は完全試合を狙っていきたい」と意気込んだ。

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