拓大 創部85年目で1部初昇格 名将に率いられ“気まま軍団”が快挙

[ 2013年6月20日 06:00 ]

<専大・拓大>初昇格に歓喜の拓大ナイン

東都大学野球入れ替え戦3回戦 拓大2―0専大

(6月19日 神宮)
 拓大が創部85年目で念願の1部昇格を決めた。1勝1敗で迎えた専大との3回戦に2―0で勝利。初回に2点を挙げると、3回から登板の福永雅之投手(3年)が7回をパーフェクトと圧巻の救援を見せた。かつて亜大を3度の大学日本一に導いた内田俊雄監督(66)は就任8年目で悲願成就となった。敗れた専大は1シーズンで2部降格となった。

 9回2死、最後の打者の打球は右翼フェンス際で村岡がジャンプして好捕。87年秋、11年秋に続く3度目の挑戦で、1部への扉が開いた。ベンチから選手が飛び出し、マウンド付近で歓喜の輪をつくる。そんな中、内田監督はゆっくりと歩を進めた。創部85年目での悲願達成。しかし、指揮官は胴上げを断った。

 「まだ東都1部の6位ですから。1部に定着してもっとレベルの高いところを目指してやらないといけない」

 就任8年目。今季はエース・石橋を右肘の故障で欠いての船出だった。「石橋さんを1部で投げさせるのが目標だった」と2点リードの3回からマウンドに上がった3年生の福永はスライダーを低めに集め、1人の走者も許さない完璧な投球で9回まで投げ抜いた。

 亜大で13度の1部優勝、全日本大学選手権を3度制した名将は06年に拓大の監督に就任。当時は3部で「環境があまりに違った」と振り返る。大切にしたのが規律。北條主将は「野球より私生活に厳しい。茶髪とか眉をそっていたらグラウンドに入らせてもらえない」と話す。

 当時、寮は学外にあり部員は自由気ままな生活を送っていた。しかし徐々に実績が評価され、昨年4月から学内の寮を使用できるようになり、劇的に変わった。今年3月からは内田監督の提案で午前6時半に起床し、1時間寮の周りの草むしりを始めた。一番早くに現れる指揮官の姿に「一人一人が自覚を持たなければ」と意識が芽生えた。

 1回戦は7―18と大敗。しかしナインは「監督に付いていけば間違いない」と崖っ縁から連勝した。突出した選手はいないが、結束は固い。指揮官は「実績がなかった分、素直に取り組めた」と話した。ナインの思いは一つ。1部の舞台で胴上げすることだ。

 ◆内田 俊雄(うちだ・としお)1946年(昭21)11月24日、広島県生まれの66歳。広島商を卒業後、亜大に進学。卒業後は社会人野球の三協精機で内野手として活躍。78年に亜大監督に就任。26年間で13度のリーグ優勝を経験し、全日本大学選手権を3度、明治神宮大会を2度制し計5度の全国制覇を果たした。亜大総監督を務めた後、06年に当時3部だった拓大の監督に就任した。

 ▼高橋建(拓大OB=元広島、野球評論家)さまざまな重圧の中で、これまでの歴史になかったことを成し遂げた皆さんを祝福したいし、私も本当にうれしいです。私の時は2位が最高で、1部に挑戦することもできなかった。まず1勝、そして勝ち点と新たな歴史を築いていってほしい。

 ▽拓大野球部 1929年(昭4)創部。現在は部員122人、うちマネジャー4人。東都大学野球連盟に所属し2部リーグで3度優勝。合宿所は東京都八王子市館町815―1第2体育寮。主なOBは明徳義塾・馬淵史郎監督、中尾明生(元南海)、高橋建(元広島)ら。

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