80年代の南海 88年門田2冠、40歳最年長MVP

[ 2013年4月20日 06:00 ]

80年代に南海の主砲として活躍した門田

 【80年代の南海】

 チームの低迷期。80~89年の10年間でAクラスは1度もなく、最下位、5位ともに4度という成績だった。

 80年には「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行が浪商(現大体大浪商)からドラフト2位で入団。しかしチームは最下位に終わり、81年には広瀬叔功監督からブレイザー監督に。さらに83年からは穴吹義雄監督が3年間、指揮を執った。86年には杉浦忠監督が就任。87年8月26日の西武戦(大阪)では、アキレス腱断裂などの故障を克服した39歳の門田博光が、史上24人目の通算2000安打を達成した。門田は88年にも44本塁打、125打点で2冠王。史上最年長の40歳でパ・リーグMVPに輝いた。

 その88年9月21日、ダイエーへの球団譲渡で合意。売却額は約28億円で、福岡ダイエーホークスとして本拠地も平和台球場となった。

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2013年4月20日のニュース