“ちーちゃん”金子 スゴ~い完封 森脇監督絶賛「本物」

[ 2013年4月13日 06:00 ]

<オ・日>完封勝利のオリックス・金子(右)は伊藤と歓喜のタッチ

パ・リーグ オリックス4-0日本ハム

(4月12日 ほっと神戸)
 7回、8回…。イニングが進んでいっても、オリックス・金子はマウンドを譲る気はさらさらなかった。

 「延長の試合が続いて、投手も疲れている。1人で投げ抜く」――。志願の続投。9回無死一、二塁のピンチも切り抜けた。5安打8奪三振、134球の熱投。自身にとって昨年5月22日の阪神戦(京セラドーム)以来、そして今季パ・リーグ一番乗りの完封勝利だ。甘いマスク。熱心なファンには名前の千尋から「ちーちゃん」と呼ばれる。しかしグラブには「氣」の文字。気持ちだけは誰にも負けない。前夜のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)は、延長11回に痛恨のサヨナラ負け。嫌な雰囲気を振り払う快投に、森脇監督も「だからエースという言葉が存在する。金子は本物」と賛辞を惜しまなかった。

 3月29日。実戦登板ゼロのまま、金子はロッテとの開幕戦(QVCマリン)のマウンドに上がった。ぶっつけ本番。春季キャンプで右肘を痛め、同21日にようやくシート打撃に登板したばかりだった。その直後、森脇監督から3年ぶり3度目の大役を告げられた。「正直、びっくりした」。極めて異例の、荒療治ともいえる起用法。昨季は右肘痛などでわずか4勝に終わった。新指揮官から「1年間(チームの)中心になって戦うんだぞ」と託された言葉を胸に、必死に腕を振った。

 この日は91~00年のオリックス・ブルーウェーブ時代の復刻ユニホームを着用した。96年の日本一を含め、10年間でAクラス9度。当時の強さを取り戻す。「寒かったですけど、球場を熱くしてやろう、と思って投げました!」と金子。かつての本拠地・ほっと神戸での試合で、貯金2としてリーグ2位。チームも、金子も、今年は確かに違う。

 ◆オリックスの91~00年 91年のドラフト会議では、鈴木一朗(愛工大名電)を4位で指名。94年に仰木彬監督が就任すると登録名を「イチロー」に変更し、日本新記録(当時)のシーズン210安打をマークした。95年1月17日に阪神大震災が発生。チームは「がんばろうKOBE」を合言葉に同年、96年とリーグ連覇。96年には巨人を4勝1敗で下して日本一に輝いた。00年は阪急時代以来12年ぶりのBクラスに転落。シーズンオフには7年連続首位打者のイチローが、ポスティング・システム(入札制度)でマリナーズに移籍した。

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