菅野 原監督引退アーチに涙するファン見て誓った「自分もいつか」

[ 2013年4月7日 10:09 ]

<巨・中>原監督(右)とガッチリ握手する菅野

セ・リーグ 巨人6-4中日

(4月7日 東京D)
 巨人の菅野がプロ野球選手を目指したのは、伯父である原監督の引退試合を観戦した日からだ。95年10月8日の広島戦(東京ドーム)。その試合で原監督は現役最後の本塁打となる通算382号を放った。

 当時5歳の菅野がいた観客席では悲鳴に近い絶叫が響き、涙するファンもいた。「泣いている人までいてビックリしました。野球ってこんなに人を熱くできるものなんだ」。スポットライトを浴びる伯父の姿。胸が高鳴るとともに「自分もいつか…」と明確な夢が確立された。

 そこから原監督に対する接し方も変わったという。それまでは会えば気兼ねなく近づき思ったことを口にしてきたはずが「あまり覚えていませんが、子供ながらに意識していたのかもしれません」と自然と距離を測るようになった。伯父から「憧れの人」への心境変化。同じ舞台を目指すには同じ道を進むのが一番。東海大相模、東海大と原監督の背中を追うように進んでいった。

 巨人入団が決まった後、原監督とは年末年始に親族の集まりで顔を合わせた。しかし、野球をやっている限り、伯父ではなく「巨人・原監督」として接する。これも「僕の夢の一つだった」と言う。この日も勝利投手と監督として、固い握手を交わした。

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2013年4月7日のニュース