“最強師弟”だ!長嶋氏&松井氏 異例のW国民栄誉賞

[ 2013年4月2日 06:00 ]

巨人の長嶋監督(右)から指導を受ける松井

 政府は1日、巨人やヤンキースで活躍した松井秀喜(38)、元巨人監督の長嶋茂雄(77=巨人終身名誉監督)の両氏に、プロ野球発展に貢献したなどとして国民栄誉賞を授与する方針を決めた。同分野の2人が同時授与となるのは極めて異例。固く結び付いた師弟2人の絆を象徴する形の受賞となる。また巨人は同日、松井氏の引退セレモニーを5月5日の広島戦(東京ドーム)の試合前に行うと発表した。

 長嶋氏との「師弟」でのダブル受賞に、松井氏は「ただただ恐縮しております。長嶋監督の受賞は日本中の方々が納得されると思いますが、私は監督に愛情を注いでいただき、20年間プレーすることができました。ですから、この賞もひとえに監督のおかげです」とコメントを寄せた。

 まさに長嶋氏とともに歩み続けてきた野球人生だった。92年ドラフト会議。4球団の指名が競合する中で、当時の長嶋監督が当たりくじを引き当ててくれた。4番1000日計画。遠征先のホテルの部屋で、都内の長嶋氏の自宅で、何度も何度も素振りを繰り返した。陰の努力、プロとしての美学の継承。松井氏は昨年限りで現役生活にピリオドを打ったが、引退会見で一番の思い出を聞かれ「長嶋監督と素振りした時間」と即答していた。それほど2人の絆は強く、固かった。

 その長嶋氏の存在は松井氏だけでなく、球界、日本全国にとって「太陽」だった。王貞治氏との「ON」として高度経済成長期と重なる巨人V9時代を支え、明るく爽やかな人柄で「ミスター」の愛称で親しまれた。59年6月25日(後楽園)の天覧試合では、阪神・村山実からサヨナラ本塁打。74年10月14日の引退試合(同)で「我が巨人軍は永久に不滅です」の名ゼリフとともにユニホームを脱いだ。04年アテネ五輪の日本代表監督にも就任。しかし本番を前にした同年3月、脳梗塞で倒れた。懸命のリハビリの結果、現在は順調に回復。長嶋氏は「本当に光栄です。監督と選手として苦楽をともにしてきた松井君と一緒に頂けるということであれば、これ以上の喜びはありません」と話した。

 安倍晋三首相は「松井選手が引退するからには、日本としてふさわしい名誉を贈りたい。長嶋氏は戦後最大のスーパースター。これまで(賞を)出していなかった方がおかしい」などと説明。政府は、松井氏の現役時代の背番号「55」、さらに長嶋氏がプロ野球入りから今年で55年を迎えることにちなんで5月5日の授与を内定している。

 ゴジラとミスター。平成と昭和と野球界のスターとして最も記憶に残る2人が、同時に晴れの栄誉に輝いた。「(松井氏を)私の愛弟子として、これからも応援していきたい」と話した長嶋氏に、松井氏は「正直、現時点で自分が頂いてもいいのか、という迷いもあります。今後、数十年の時間をかけて、この賞を頂いても失礼ではなかったと証明できるよう、努力していきたいと思います」と誓った。

 ▽国民栄誉賞 1977年に野球のホームラン世界記録を達成した巨人・王貞治選手(当時)の功績を称えるため創設された。当初は広く国民に敬愛され社会に明るい希望を与える顕著な業績を挙げた個人が対象だった。サッカー女子ワールドカップ(W杯)で初優勝した「なでしこジャパン」に贈る際、団体として受賞できるよう表彰規程を変更した。これまで国民栄誉賞の受賞例は21あり、歌手の故美空ひばりさんや映画監督の故黒澤明さんらも受賞している。

 ◆松井 秀喜(まつい・ひでき)1974年(昭49)6月12日、石川県生まれの38歳。星稜から92年ドラフト1位で巨人入団。主砲として首位打者1度、本塁打王と打点王各3度の活躍で4度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献。96、00、02年にMVPを獲得した。02年オフにFA宣言してヤンキースに移籍。09年ワールドシリーズでは3本塁打の活躍で日本人初のMVPに輝いた。その後エンゼルス、アスレチックス、レイズでプレーし、昨年12月に現役引退を表明。右投げ左打ち。

 ◆長嶋 茂雄(ながしま・しげお)1936年(昭11)2月20日、千葉県生まれの77歳。佐倉一(現佐倉)から立大を経て、57年オフに巨人入団。強打の三塁手として王貞治との「ONコンビ」で巨人の9年連続日本一に貢献、絶大な人気を誇り「ミスタープロ野球」と呼ばれた。現役17年間で首位打者6度、本塁打王2度、打点王5度。MVPに5度選ばれた。巨人の監督を通算15シーズン務めリーグ優勝5度、日本一2度。退任後は巨人終身名誉監督。04年アテネ五輪日本代表監督。88年に野球殿堂入り。右投げ右打ち。

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