長嶋&松井氏 「夢と希望」与えた師弟 固い絆で同時受賞

[ 2013年4月1日 19:04 ]

 「交渉権を獲得したのでよろしく」―。1992年11月21日。ドラフト会議で巨人が交渉権を獲得してから約4時間後、高校生の松井が耳に当てた電話口の向こうから、長嶋監督の声が響いた。2人の運命の扉が開かれた瞬間だった。

 日本球界を代表する打者へ。二人三脚が長嶋監督の自宅、遠征先のホテル部屋など、隠れた舞台でも繰り広げられた。

 長嶋監督は現役時代、「天才」と言われた。だから表立って猛練習することが自身の中ではばかられていたという。「俺は天才じゃない。人に見えないところでかなり練習した」と語ったことがある。努力こそが成功の糧。だからこそ「巨人の4番は日本の4番」と松井を厳しく鍛えた。

 松井の口から「監督に褒められた記憶はない」と何度か聞いた。それでも「人間・長嶋」にどんどん魅入られていく。米大リーグ挑戦、昨年末に現役引退を決意した際にも、恩師に伝える前には公式記者会見に臨まなかった。

 監督退任後、脳梗塞で倒れた長嶋氏から、電話で逆に励まされたこともある。松井は引退会見で現役一番の思い出を「長嶋監督と素振りした時間」と即答。感謝をそう表現した。

 「日本の4番」になった。現役時に大リーグ入りを思い描いたことがある長嶋氏が、自分の夢を託す形で渡米前の松井に「ジョー・ディマジオを目指してやってこい」と渡したバトンもメジャーの舞台で光り輝いた。

 ともに日本に「夢と希望」を与えた師弟の国民栄誉賞の同時受賞。2人の固い絆があらためてクローズアップされた。

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2013年4月1日のニュース