無力だと感じた3・11…楽天・斎藤 だからこそ野球を頑張る

[ 2013年3月11日 06:00 ]

アリゾナでふるさとの惨状を知った楽天・斎藤。「何もできないことがもどかしくて」

 斎藤は思う。自分は無力だと。だからこそ思う。精いっぱい生きよう、と――。昨季まで7年間、大リーグでプレーしていた楽天・斎藤隆投手(43)は、今季から東日本大震災の被災地で、生まれ故郷でもある仙台に戻った。震災当時は米国に滞在。あれから2年が過ぎ、地元でプロ生活22年目をスタートさせる斎藤に今の心の内を聞いた。

 被災者の思いを一人で背負うことなど、できるわけがない。復興のシンボルになど、誰もなることはできない。斎藤は意を決するように言った。

 「誰も亡くなられていなくて、誰も悲惨な思いをしていなかったら、それ、引き受けますよ」。そして続けた。「でも、そうじゃないですもんね…」

 被災地に本拠を置く楽天に入団した。加えて仙台は出身地。自然と周囲から「復興のシンボル」と言われた。しかし、そんなアイコン(象徴)に祭り上げられることは、本意ではなかった。宮城県の死者は県別最多の9535人(警察庁緊急災害警備本部、3月8日現在)に上る。

 「大切な方の命を亡くされた人のことを考えると…。シンボルとか失礼。それこそ無力ですから。何もできないですよ、本当に」

 斎藤は、そう声を絞り出した。1970年2月14日。Kスタ宮城のある仙台市宮城野区の隣、若林区に生まれた。11年3月11日。震災当日は、当時所属していたブルワーズのキャンプ地・アリゾナ州メリーベールにいた。現地時間10日午後11時すぎ、トレーナーから「東北で地震があったようだ」と聞かされた。山形県に住む母方の伯父に連絡を取り、「大丈夫。心配するな」と言われて一度はベッドに入った。翌朝、午前7時。CNNの映像を見てがく然とした。

 「子供のころに釣りに行っていた、(名取市の)閖上(ゆりあげ)や(仙台市の)荒浜に津波が押し寄せてきて…。あの衝撃は今も鮮明に覚えています」

 映像には「WAKABAYASHI―KU」のテロップまで流れた。斎藤は、身内の誰かが亡くなったのでは、と覚悟したという。

 奇跡的に、4歳上の長兄と国際電話がつながった。水がない。米がない。届けたい、帰国したいと心底思った。しかし兄に言われた。「おまえが帰ってきても、食べ物や飲み物を減らすだけだ。何の役にも立たない」。ショックだった。無力感だけを覚えた。物理的にも、その被害の大きさのため米国から被災地にたどり着くのは困難だった。「家族という親しい、大切な人たちにペットボトルの水1本も渡すことができない…」。どうすればいいのか。何もできない。斎藤は己の存在の小ささを思い知らされた。

 もやもやとした霧のような思い。それが晴れたのは、自身のブログに書き込まれた友人の言葉のおかげだった。震災後、数週間してようやく更新したブログ。「何もできなかった」。自責の念を込めたコメントに返事が来た。「斎藤がプレーすることで救われる人もきっといるはずだよ。プレーに集中して頑張って」。そうか。その瞬間、気持ちを切り替えられた。

 「状況が変わらないというのは、僕自身の自分勝手な思いだったというのを教わりました。今もそう。何かを変える力はないですけど、今置かれている立場で自分ができることを精いっぱいやる。あらためて野球を頑張ろう。それが、僕の答えです」

 復興のシンボルなどという、救世主のような存在にはなれない。それでも、斎藤には斎藤のできることがある。それが野球。マウンド上で必死にアウトを取る姿だ。

 「亡くなられた方は…。無念の思いがきっとあるでしょう。自分は生きていることだけでも幸せ。プレーできることだけでも幸せですから」

 震災後、11年4月11日には左大腿部の張りで故障者リスト入り。リハビリ中には左脇腹を痛めた。相次ぐ故障。一時は「引退」の2文字が頭をよぎった。それでもボールを握り続けた。

 「命があって、プレーができて…。感謝、ですね。亡くなられた方からメッセージをいただいたとしたら、そういうことかなと思う」

 そして43歳の今、生まれ故郷の仙台に戻ってきた。今季は楽天のユニホームに身を包んでグラウンドに立つ。

 斎藤の家族、知人、東北野球部の同級生ら友人の中で、亡くなった人はいなかった。それでも家が流され、浸水し、自宅が避難区域に指定され…。さまざまな苦難は身近にある。あの日から2年がたっても、まだまだ被災地の復興への道は半ばだ。この時間が長かったのか、短かったのか。斎藤には分からない。

 「原点回帰、という感覚はあります。(現役として)残された時間は少ないけど…。野球を始めたところでもあるし、終えることができるなら。不思議ですね」

 杜の都。無力さを痛感しているからこそ、斎藤は必死に腕を振り続ける。

 ◆斎藤 隆(さいとう・たかし)1970年(昭45)2月14日、宮城県仙台市生まれの43歳。東北高から東北福祉大を経て、91年ドラフト1位で大洋入団。96年に最多奪三振のタイトルを獲得。05年オフに横浜を自由契約となり、06年ドジャースとマイナー契約。同年、球団新人最多の24セーブを記録し、39セーブを挙げた07年は球宴にも出場した。日本人大リーガー最年長登板、勝利、セーブなどの記録を保持する。大リーグ通算成績は7年間で338試合21勝15敗84セーブ、防御率2・34。1メートル88、90キロ。右投げ左打ち。

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