ブラジル代表のユウイチ ラテンのノリで侍ジャパンから金星を

[ 2013年2月7日 06:00 ]

ブラジルと日本の野球について語るヤクルト・ユウイチ

 未知なる強豪だ。第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)1次ラウンドで、侍ジャパンと初戦(3月2日、ヤフオクドーム)で対戦するのが、WBC初出場のブラジルだ。サッカーW杯で最多5回の優勝を誇り、「赤ん坊もサッカーボールで遊ぶ」というお国柄。野球は1910年代、日本からの移民が伝えたとされる。約100年の時を経て、野球の母国ともいえる日本を舞台にしての大一番。宮崎・西都の2軍キャンプで調整中のヤクルト・ユウイチ外野手(32)が、日本戦への思いなどを熱く語った。

 ――WBC開幕まで1カ月を切った。

 「やっぱり気持ちが違う。(04年に)日本国籍を取ったけど、生まれた国の代表のユニホーム。それもWBCに出られるんだから。気合は全開です」

 ――ブラジルはサッカー大国。野球を始めたきっかけは?

 「周囲の日系人は、みんな野球が好き。昔から伝わっていて、僕も10歳ぐらいで始めた。ポルトガル語の発音は“ベイセボー”。日系人がスポーツをやるなら、まず野球。でも高校にも野球部はないから、クラブチームでプレーしていた」

 ――環境は?

 「やっぱり野球はお金がかかる。道具とか…。僕も日本に行った人に買ってもらったりしていた。そもそもブラジルのスポーツ用品店には、野球道具なんて売っていないし(笑い)。僕の頃は、プレーしていた9割が日系人。今は、半分くらいがブラジル人じゃないかな。でもみんな、高校が終わったら基本的にやめてしまう。大学に行ったり、仕事をしなきゃならないから」

 ――地球の裏側から日本でのWBC出場。昨年の予選ラウンド(3組)は3連勝の快進撃だった。

 「決勝のパナマ戦は(同国開催で)完全アウェー。でもみんなが一つになって、チームワークが良かった。あれが僕らの強み。それに監督(米殿堂入りのバリー・ラーキン氏)が凄い人。まとめ方がうまい。ほとんど毎日“自信を持ってやりなさい”と言われた。何でもトライして、ミスしても構わない。だから気持ちは楽だった」

 ――決勝戦は1―0。

 「最初は完全にバカにされていた。相手のパナマ、コロンビア、ニカラグアには、みんな大リーガーがいる。決勝戦も、最初に点を取ったら向こうがどんどん焦っていった。監督の采配、チームのまとまり…。勝負は分からないですね」

 ――そして手にしたWBC切符。1次ラウンド初戦は、いきなり侍ジャパンとぶつかる。

 「(先発が見込まれる楽天の田中)マー君とは2度対戦して3三振(無安打)だった。いいイメージはないけど…。映像を見たり、個人的には準備している。でもチームではやっていない」

 ――というと?

 「ブラジルではあまりミーティングとかしない。予選でも一度もやっていないし。今回も多分ないんじゃないかな。相手投手の球種だけ、とか。僕は誰が何を投げるか調べてもらったりするけど、他のメンバーは“全然大丈夫”って。ラテンのノリと勢い?そうですね」

 ――日本中のファンが注目する試合になるが。

 「日本はホームだから、逆に重圧があるはず。僕らにプレッシャーは全然ない。一発勝負。ミスが少ない方が勝つ。何が起こるか分からない」

 ――WBCは、ブラジル野球のアピールの場。

 「やっぱりお金の問題で、合宿とかもできない。そこらへんは寂しい。一番レベルの高い大会で、サッカーとかバレーボールと違って一つもスポンサーも付いていないし」

 ――環境を変えるチャンスでもある。

 「予選でのブラジル合宿でも、一切ぜいたくはしなかった。ホテルも3人部屋、4人部屋で…。でも、逆にそれが良かったのかも。みんなが同じ気持ちになった。あのパナマ戦の時のように、日本を迎えられれば」

 ――ユウイチ選手自身も晴れ舞台。

 「僕にとっても最後のブラジル代表だから。4年後はもっと若くていい選手が出てくる」

 ――日本球界での貴重な経験を生かしたい。

 「せっかく日本でこれだけやらせてもらっている。母国にお返ししたい。将来、ブラジルの野球を何とかしたいという気持ちは凄くある。そのためにも悔いの残らないように、負けても勝っても全力でやりたい」

 ◆ユウイチ(本名・松元 雄一)1980年12月18日、ブラジル・サンパウロ州生まれの32歳。ワシントン・ルイス州立高卒。16歳だった97年には世界大会でブラジル代表入り。99年にヤクルトに入団した。02年5月30日の巨人戦(神宮)でプロ初出場。04年に日本国籍を取得(ブラジル国籍も保有)した。通算成績は391試合で打率・256、7本塁打、71打点、1盗塁。1メートル78、83キロ。左投げ左打ち。

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