オーバーワークだった摂津 開幕投手の重圧…腰耐えきれず

[ 2013年1月22日 15:26 ]

オーバーワークがたたり、腰に爆弾を抱えたままシーズンを迎えたソフトバンク・摂津

野球人 ソフトバンク・摂津正(上)

 光には影が付きものだ。沢村賞の栄光の裏でソフトバンク・摂津は腰痛と闘い続けた。初の開幕投手へ仕上げの段階だった昨年3月15日のオープン戦・楽天戦(倉敷)。それまで抱えていた違和感は激痛に変わった。5回1失点にまとめたものの、そのまま、とんぼ返りで福岡市内の病院でエックス線検査を受けた。背中を押さえつけただけで痛みが走った。腰を曲げることさえ、困難な状態だった。

 「オープン戦は序盤から腰の辺りに張りのような違和感はありました。それが楽天戦で突然、力が入らなくなった。あの時点で投げることに対し、怖さがあった」

 祈るような気持ちで整体治療院に通った。3日で症状は軽減されたものの、いつ、再発するか分からない爆弾を抱えた。首脳陣はベテランの新垣に万が一の場合、開幕投手を任せると伝えたほどだ。だが、摂津は誰も踏んでいない真っ白のプレートにかじりつく。「無理をしないという選択肢はありましたけど、投げない影響は大きい」。11年に合計43勝を挙げた杉内、和田、ホールトンの3本が抜けた昨季、心の底から湧き上がる責任感が、良くも悪くも背番号50を駆り立てていた。

 痛みの原因は分かっていた。開幕投手を宿命づけられたシーズンは、例年より力が入った。「春先のトレーニングをやりすぎた。ウエートとランニングの量を増やしたことが、オーバーワークになった」。先発転向した11年以降、自主トレをともにする馬原(オリックスに移籍)のアドバイスを受け、1年間投げる体力を維持するためシーズン中の筋力トレーニングを取り入れてきたが、それさえ不可能だった。貯金を切り崩すように投げていく。だが、次第に納得いく球は行かなくなった。

 折れそうになる心を支えたのは、高山投手コーチが耳元でささやき続けた言葉だった。「必要以上に責任を背負わないようにしろ。秋山監督も同じ意見だ」。さらなる追い風は8月1日の楽天戦だった。故郷・秋田での凱旋登板を完封で飾ると、そのまま8連勝。不安を抱えたまま、とうとう勝ち星は17勝まで積み上がっていた。

 白星は最高の良薬だ。少しずつ、自分を取り戻したエースの状態はクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ第3戦(札幌ドーム)で最高潮に達した。第1球を投じた瞬間、確信に似た手応えはあった。ただ野球の神様が用意したエピローグはあまりに残酷だった。

 ◆摂津 正(せっつ・ただし)1982年(昭57)6月1日、秋田県生まれの30歳。秋田経法大付では3年春に甲子園出場。JR東日本東北から08年ドラフト5位でソフトバンク入団。09、10年最優秀中継ぎ投手、09年新人王。11年から先発転向。12年は17勝で最多勝、最高勝率、沢村賞。通算194試合で40勝18敗1セーブ、防御率2・20。1メートル81、90キロ。右投げ右打ち。

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