二刀流の“先輩”永淵さん 当時を振り返る「三原監督の指示通りやった」

[ 2013年1月21日 06:00 ]

近鉄時代に投手と外野手を兼任した永淵洋三

 日本ハムのドラフト1位ルーキー・大谷の二刀流挑戦が注目を浴びているが、栗山監督が尊敬する名将・三原脩氏は近鉄の監督に就任した1968年、投手として入団したルーキー・永淵洋三選手を打者としても起用した。

 永淵投手は同年4月16日の東映(現日本ハム)戦で代打でプロ初本塁打を放つと、そのままリリーフでマウンドへ上がって2回2/3を2安打1失点に抑え、チームはサヨナラ勝ちした。

 現在、佐賀市内で焼き鳥店を営む永淵さんは「三原監督に両方やっておけと言われた。試合に出ることが先決だったので、どういう形であれ指示された通りにやった」と当時を振り返った。また、自身の体験から二刀流について「投手がダメなら野手、野手がダメなら投手というような考えがあったら絶対に無理」と、厳しい挑戦であることも明かした。

 ◆永淵 洋三(ながぶち・ようぞう)1942年(昭17)5月4日、佐賀県生まれの70歳。佐賀高では1年夏に甲子園出場。東芝でプレー後、入団テストを経て67年ドラフト2位で近鉄入団。68年は投手登録ながら外野手を兼任し、野手一本となった2年目の69年に張本勲(東映)と同率で首位打者を獲得した。76年日本ハムに移籍、79年限りで引退。現役時代は酒豪として知られ、漫画「あぶさん」の主人公のモデルとなった。現役時1メートル68、65キロ。左投げ左打ち。

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