都市対抗10度V!大久保監督 重量バットで完成「日本一打線」

[ 2013年1月19日 12:42 ]

都市対抗で決勝本塁打のJX―ENEOS・山岡

野球人 JX―ENEOS・大久保秀昭監督(上)

 JX―ENEOSの大久保秀昭監督は、三塁ベンチから身を乗り出して叫んでいた。「行けーっ」。昨年7月24日、JR東日本との都市対抗野球決勝戦(東京ドーム)。1点を追う6回2死一、二塁の場面で、伏兵・山岡のバットから左翼席への逆転3ランが生まれた。

 「打球がスタンドに入った時は興奮しました。山岡は“野球の神様っているんだなと思った”と話していましたけど、あいつの努力が報われた瞬間でしたね」

 準決勝までの4試合で14打数1安打、打率・071だった8番打者。「内容は悪くなかったし、そろそろ出るだろうと」。代打も考えられる状況だったが、06年の監督就任時に早大から入社してきた山岡で勝負に出た。

 史上最多となる10度目の日本一。あの1敗があったから、頂点にたどり着いた。11年10月25日、都市対抗1回戦。王子製紙に2―5で敗れた。08年の優勝時には田沢(レッドソックス)という絶対的なエースを軸に守り勝ったが「都市対抗は打たないと勝てない」と、打線強化に切り替えた。冬の練習前にナインを集め、こう言った。「俺がいいと言うまで、このバットを振ってくれ」。通常よりも30グラム程度重い、930グラムのバットの使用を義務づけた。

 自身も5年間、身を置いたプロ野球界でも、930グラムを操れる選手は多くない。ウエートトレーニングと並行して振る力を養うこと、そして、自分に合ったバットをもう一度見直してもらうこと。指揮官は930グラムにこだわった。年明け初の公式戦となった昨年3月のスポニチ大会でも、選手は重量バットを手に打席に立った。結果は予選リーグ敗退。全ては都市対抗優勝のためだった。

 都市対抗予選を3週間後に控えた5月上旬。「自分が好きなバットでやっていいから」と、ようやく封印を解いた。予選5試合で46得点。選手のスイングは見違えるようになっていた。「明らかに長打が増えたし、振り切った打球が内野の頭を越えるようになっていた」。本戦は5試合で4本塁打。山岡のスイングスピードも上がっていたことを知っていたからこそ、あの場面でも信頼できた。大城、三上らタイプの異なる5投手も、それぞれが持ち味を発揮。投打の歯車がかみ合って頂点に立った。

 都市対抗後には周囲からの祝福攻めに合った。自身もナインも、達成感に浸った。「おまえたち、次の目標はどうする?」。返ってきた答えは「もちろん、勝ちたいです」。4カ月後に行われる日本選手権へ向け、選手が握るバットは970グラムになっていた。

 ◆大久保 秀昭(おおくぼ・ひであき)1969年(昭44)7月3日、神奈川県生まれの43歳。桐蔭学園から慶大に進み4年時には主将を務め春秋リーグ戦優勝。日本石油では都市対抗で2度優勝。96年アトランタ五輪では銀メダル獲得に貢献し、同年ドラフト6位で近鉄入り。01年に引退し横浜2軍打撃コーチを経て、06年からJX―ENEOSの監督を務める。

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2013年1月19日のニュース