5打席連続敬遠 河野さんが追う夢の続き「松井選手と草野球で…」

[ 2013年1月13日 14:30 ]

「勝つために」松井(手前)を5打席連続敬遠した明徳義塾・河野

 「もし勝負をしていたら、100%負けていたと思います」。今でも球史に残る出来事として記憶される、松井の5打席連続敬遠。マウンドにいた河野和洋さんは、「でも僕も必死だった。勝つために必死でした」と21年前を振り返った。

 92年8月16日、夏の甲子園2回戦の星稜―明徳義塾戦。河野さんの投げた20球は全てボール球で、松井は一度もバットを振らなかった。いや、振れなかった。「大変な騒ぎになっているのは分かりました。宿舎から一歩も出られなかったですし」。社会問題ともなった「事件」。そして松井は昨年末、ついにユニホームを脱いだ。一方の河野さんは、今でもバットを振り続けている。

 「プロ野球でやりたい、という思いはずっとありました」。専大に進学した河野さんは、本来のポジションである外野手として活躍。しかしドラフト指名はかからず、社会人のヤマハを経て、米独立リーグでプレーするために海を渡った。松井より先に米国の地を踏んだが、夢はかなわなかった。現在は、森田健作千葉県知事が設立したクラブチーム「千葉熱血MAKING」で監督兼選手としてプレー。背番号「55」を背負っていた。昨年9月からは日本橋学館大学(千葉県柏市)野球部のコーチも務めている。

 25歳の時、テレビの対談で一度だけ松井本人と会った。「プロで一緒にやれたらいいね」。そう声を掛けてもらった。河野さんは松井の姿を追い続けた。試合を、打席を日課のように見続けた。「自分にとって、彼は普通の選手とは違う。これから見られなくなると思うと…。残念だし、寂しいです」。それでも夢には続きがある。

 「(松井の)常にチームのために、という野球に取り組む姿勢。自分もそういうスタイルでやってきた。学生にも映像を見せて、彼のような選手を育てられればと思います」と河野さん。「松井選手といつか一緒に…とずっと思っていた。でも草野球なら、これからいつでもできますから」。2人が巡り合う日は、いつか必ずやってくる。

続きを表示

「第91回(2019年)選抜高等学校野球大会」特集記事

「稲村亜美」特集記事

2013年1月13日のニュース