母校・星稜率いる後輩監督に松井氏から贈られた言葉

[ 2013年1月8日 12:00 ]

11年から母校を率いる林和成さん

 チームメート、後輩として間近で接した。高校時代は三塁手だった松井の1歳下で、遊撃手として三遊間を組んだ林和成さん(37)は、2011年に星稜の監督に就任。部員には「松井さんには打球を飛ばす力はあったけど、守備も走塁もセンスはなかったよ。どれだけ努力したのか分かっているのか!」と松井を引き合いに出しながらハッパをかけている。

 松井が坂道ダッシュやノックを人一倍こなし、プロへの土台を築いたのを見てきた。打撃練習でも周囲が漫然と打つ中で(1)マシンのカーブを逆方向へ(2)生きた投手の球(3)マシンの直球をフルスイング、のルーティンをしっかり守っていた。引退会見で自身に向けた「もう少しいい選手になれたかもね」との言葉。林さんは「やっぱり、努力であそこまでいった人だな」と心に染みた。

 常に温厚な松井に、一度だけ怒られたことがある。林さんが1年秋だった明治神宮大会決勝の帝京戦。消極的なプレーが続いていた林さんの悪送球で逆転を許し、松井に鬼気迫る表情で「何を弱気になってるんだ!」と一喝された。直後の攻撃で、目が覚めた林さんが再逆転に導く二塁打を放ち、優勝。「本当にありがたい一言だった」と感謝している。

 97年の日大4年時には星稜のコーチ就任の打診を受け、家業を継ぐかどうかで悩み相談した。東京ドームでの巨人戦後。神楽坂の居酒屋で食事をともにし「どっちを選んでも応援する。仮に星稜に入れば、全面的に協力するし」と言われ、熟慮の末に就任した。現在、使っている打撃マシンの大半は、松井寄贈のものだ。

 母校へ顔を出すと、松井は部員に「こんなヤツだけど、言われることをやれば間違いないから」と笑いを交えて語りかける。そして、林さん自身も地元なまりの交じった松井の金言を心に刻んでいる。「伝統とか、全く気にすることはない。お前の色を出せばいいんや」。春は05年、夏は07年以来、甲子園から遠ざかっている星稜だが、誰よりも強く、そして温かい後押しを受けている。

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2013年1月8日のニュース