松井 会見冒頭あいさつ「命懸けのプレーもここで終わり」

[ 2012年12月29日 06:00 ]

引退会見を終え退席する際、ホテル従業員から花束を渡され笑顔の松井

松井秀喜引退

 【松井冒頭あいさつ】

 私、松井秀喜は、本日をもちまして、20年間に及びましたプロ野球選手人生に区切りを付けたいと思い、20年間応援してくださったファンの皆さま、そして報道関係の皆さまに感謝の気持ちを伝えたく思い、このような記者会見を開かせていただきました。

 この決断に至った一番大きな原因は、今年のシーズンは3カ月くらいしかプレーできなかったんですが、少し今までにない、初めての形でのスタートになりました。マイナーリーグからスタートして、メジャーリーグに上がり、そこで最初は多少結果も出たのですが…。その後、たくさんのプレーする機会をいただき、試合に出る時はクリーンアップという形で出させていただいたにもかかわらず、結果が振るわなかった。そのことが一番大きな要因だと思っています。僕がメジャーに挑戦する時の「命懸けでプレーし、メジャーという場で力を発揮する」という気持ちで、この10年間やってきましたが、結果が出なくなったということで、その命懸けのプレーも、ここで一つの終わりを迎えたんじゃないかなと思っています。

 僕の野球人生を、パッと振り返りますと、北陸の小さな街で生まれ育ち、そこで野球を始め、地元の高校に進学して、甲子園に出るという小さな時からの目標を達成することができました。そこで注目していただき、高校3年生の時にジャイアンツからドラフト1位で指名していただき、当時の長嶋監督にクジを引いていただくという、凄い光栄なことだったと思っています。そして、ジャイアンツで長嶋監督に出会い、毎日のように2人きりで指導していただき、その日々がその後の僕の野球人生にとって本当に大きな礎になったと思っています。

 その出会いに関しましては、僕にとっては本当に大きなものでしたし、長嶋監督には感謝してもし尽くせないぐらいの気持ちでいっぱいです。そしてジャイアンツでも、10年間で3度日本一にもなることができ、大変、日々幸せな充実した時間を過ごさせていただきました。僕がセンターにコンバートされる時に、長嶋監督から「ジョー・ディマジオのような選手を目指せ」というお言葉をいただいてですね。当時の僕はジョー・ディマジオの名前はもちろん知っていましたけれども、ヤンキースというチームがどのようなチームなのか、まだぼんやりとしかイメージになかった。けれども、その言葉がずっと僕の頭の中に残り、一度、1999年のオフだったと思うんですけど。その年は日本シリーズに進出できずにちょっと時間ができて、ニューヨークのヤンキースの試合を一回でもいいから見てみたいと思って来たのですが、そこで見たヤンキースのゲームが僕にとっては大きな何か運命だった気がします。

 やはり、ヤンキースの選手たちが放っている空気といいますか、ヤンキースタジアムの雰囲気。これは本当に一言で言い表せないぐらいの衝撃を受けました。3年後に自分がフリーエージェントになるということは分かっていたのですが、3年後にこのチームに欲しいと言われるぐらいの選手になりたいという気持ちで、その後、ジャイアンツの4番バッターとしてやってきました。

 そして3年後、10年前に、運良くヤンキースにも誘っていただきました。当時は本当に悩んで、移籍することに対して苦しい思いもしましたが、憧れのヤンキースのユニホームに袖を通して7年間もプレーできたことは、僕にとって本当に最高の出来事であったし、また、最高に幸せな日々でした。ヤンキースの一員として、初めてヤンキースタジアムでプレーした日のこと、そしてヤンキースの選手として最後にヤンキースタジアムでプレーした日のことは、おそらく一生忘れることなく僕の心の中にずっとあり続けると思います。

 その後もエンゼルス、アスレチックス、そして今年のレイズと、1年ずつでしたが、プレーする機会をいただきました。なかなか力になりきれない部分もありましたが、素晴らしいチームでプレーできたことは、僕の人生にとっては非常に大きな意味のあることだったと思います。

 ここ1年、2年ぐらいから成績も若干下がり気味になってきました。5、6年ぐらい前から両膝の調子もあまり良くない時期があって手術もしまして、体力的にも多少下り坂な中で、手術した後も何とかだましだましやってこれたと思いますが、きょうこういう形で皆さまにご報告することになりました。この20年間、本当にたくさんのファンの方に応援していただき、それが僕の大きな力になりました。そして、素晴らしい指導者の方と出会い、素晴らしいチームメートと一緒にプレーすることができたこと、僕にとってはおそらく一番大きな誇りじゃないかなと思います。

 今後につきましては、まだ本当に(引退を)はっきり決めてから時間がたっていませんので、少しここでゆっくりしながら考えていきたいと思っております。本当に20年間、ファンの皆さま、温かい声援を下さり、ありがとうございました。以上です。

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2012年12月29日のニュース