自分は最後の選択肢、受けるしかない…打診前に覚悟決めた山本監督

[ 2012年12月11日 11:10 ]

侍ジャパン監督発表記者の最後に笑顔で握手をかわす(左から)加藤コミッショナー、山本監督、王特別顧問

野球人 山本浩二代表監督(上)

 9月28日午前9時。鏡子夫人を出先へ送り、自宅に戻る途中だった。スマートフォンが鳴り、見るとディスプレーは「王貞治」と表示している。車を止めて電話に出た。

 「王さんから電話ということで、話の内容は察しがついた」

 世界の王にはいくつも肩書があるが、ソフトバンク球団会長でも日本プロ野球名球会理事長でもない。コミッショナー特別顧問の立場でかけてきた電話。侍ジャパン監督の打診だった。

 選手会のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)不参加決議撤回表明を受け、監督候補として名前が挙がったのは同5日。そこから23日目にして初めて話が来たのである。

 「最初に新聞に載ったときは、もし本当になったら大変やと思った。そりゃあ光栄なこと。要請が来れば受けるというのは当然なんやけど、来ないでくれという気持ちの方が強かった」

 広島の監督を辞して7年間現場を離れている自分に話が来るということは、ほかの候補者に断られた末の最後の選択肢に違いない。できれば避けたいが、世話になった球界を混乱に陥らせないためには受けるしかない。覚悟を決めた。

 そうなれば、じっとしてはいられない。ともに名球会の理事として王理事長をサポートする立場の東尾修氏(スポニチ本紙評論家)にすぐ電話して「もしそうなったら頼むで」と投手コーチを頼んだ。前オリックスヘッドコーチの高代延博氏には内野守備走塁と三塁ベースコーチとして声を掛けた。

 心の準備ばかりか組閣も着手しながら、要請も打診も一切ない。そればかりか加藤良三コミッショナーが18日に「現役の重要性が認識されている局面と感じている」と発言。球界の最高責任者がこの時期にこんなことを言えば、誰でも水面下で現役監督に決まったと思う。「もうないな。ホッとした」というのも当然だ。

 しばらく待っても連絡はない。東尾氏に「なくなったな」と電話したのは27日。その翌日に王特別顧問から話があったのである。いったんしぼんだ風船はまたすぐに膨らんだ。「考えさせてください」などともったいをつけることはなかった。

 その日の夕方、東京・虎ノ門のホテルオークラで加藤コミッショナーと会い、正式に就任を要請された。受諾。ジェットコースターのように上がったり下がったりした末に就任が決まった。

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