陸前高田市・高田高校野球部 100キロ歩いて伝えた感謝

[ 2012年12月5日 06:00 ]

100キロウオークの途中、壊滅的な被害を受けた旧校舎に向かって整列するナイン

復興へのプレーボール特別編

 ありがとう。さようなら。僕らは歩き続ける。高田高校野球部の「100キロボランティアウオーク」がこのほど行われ、途中、今年中に解体、撤去される陸前高田市内の旧校舎に別れを告げた。岩手県平泉町から大船渡市までの約100キロを2日がかりで歩き通す過酷な冬の恒例行事。主将を務める村上莉玖(りく)内野手(2年)の胸中は――。あの震災から2度目の冬。高田高校野球部のそれぞれの「今」に迫った。

 全員が一列になった。目の前にあるのはかつて先輩たちが学んだ校舎。しかし、部員と校舎とはフェンスとブルーシートで隔てられている。何台かの重機も見えた。村上主将が号令をかけた。

 「ありがとうございました!」。全員が唱和して一礼した。海風に、その声が運ばれていく。

 高田高校野球部の冬の恒例行事。約100キロを2日がかりで歩く。初日は平泉町から一関市まで。2日目は宮城県気仙沼市を経て国道45号を北上。陸前高田市を抜け、大船渡市の現在の校舎がゴールだ。途中、部員が立ち寄ったのが陸前高田市にある旧校校舎だった。昨年3月11日の震災当時は中学生だった村上主将は「複雑な気持ちです。“将来はこの学校に通うんだ”と思っていたので…」と言う。

 1967年に建築された3階建ての校舎は津波で全壊。その後はほぼ手つかずの状態だったが、10月になってようやく解体作業が始まった。年内には完全に撤去される見通しだ。佐々木明志(あきし)監督(49)が100キロウオークの途中で校舎に立ち寄ろうと決めたのは「全員で校舎を見ることができるのはこれが最後の機会」(同監督)だったからだ。昨年は旧校舎に近づくことを避けた。

 「生きて野球ができるだけで十分です。今はチームを強くしたい。強くなって僕たちが(逆境に)負けていないというところを全国に知らせたい」。村上主将は言った。

 昨年3月11日。村上主将は当時在学していた気仙中で卒業式の練習中だった。必死で高台に逃げ、命が助かった。その気仙中校舎は全壊した。幼少時から憧れだった高田高校も同様に津波にのまれた。そして陸前高田市内にあった自宅も流された。家族全員無事だったことだけが救いだった。

 野球をやめることも考えたが、今はチームをまとめることだけを考えている。「ウチは全員が元気がいいところが長所。でもそれをうまくまとめていかないとチームとして力にならない」。ポジションは遊撃、二塁、一塁に取り組んできたが、定位置を確保するには至っていない。遊撃手としてチームを引っ張った佐藤央祐(ようすけ)前主将(3年)も同じ気仙中出身。「憧れの存在」であると同時に、遠い存在でもある。「今は怒られてばかりです。それでも、いつかは…」

 陸前高田市街地。撤去作業が続くがれきの山は着実に低くなり、一面に雑草が生い茂る。一見すると広大な「空き地」にも見える。しかし雑草の下には人々が暮らした家々のコンクリートの土台が隠されている。人々の暮らしの跡が残っている。見えないだけで確かにある。

 「みんなここで暮らしていたんですよ」。村上主将はつぶやいた。美しい故郷が戻るまで。さあ、歩こう。

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