涌井 今、明かす謹慎生活の思い…身に染みた仲間の気遣い

[ 2012年11月24日 10:42 ]

週刊誌に掲載された女性問題から無期限の謹慎を通告された西武・涌井

野球人 西武・涌井(中)

 5月2日は長い一日だった。所沢は強い雨が降り続いていた。涌井は、渡辺監督に呼ばれた場面を回想する。「そのとき、なんで呼ばれたかも分からなかったんです」。4月16日に出場選手登録を抹消されてから2週間余り。2軍での実戦登板も一度もない。思い当たる理由がなく、隣にいた石井に聞いたほどだった。

 「カズさん(石井)に“何ですかね?”って聞いたんです。そしたら“抑えじゃないの?”って」。ベテラン左腕の予想は的中した。監督室。「抑えをやれ」。渡辺監督の低い声が響いた。プロ8年目で初めて抑えに回ることが決まった瞬間だった。

 戸惑いはあったが、落ち込むことはなかった。「監督に言われたら、中継ぎだろうとなんだろうと納得してやっていたと思う。嫌な気持ちなんてなかった。調子が悪いから自分でも何かを変えなきゃいけないと思っていたので」。配置転換にざわめく報道陣に指揮官は再三「チーム事情だけで抑えにするわけじゃない」と繰り返した。「抑えを経験することで直球の威力を思い出してほしかったし、中継ぎの苦労を知って信頼も取り戻してほしかった」と説明した。

 初めてのポジション。不安がなかったと言えばウソになる。「そんな調整してなかったし、下(2軍)で投げることもやってなかった。大丈夫かなって」。再び試行錯誤が始まった。急ピッチで体をつくり上げ、ブルペンではリリーフの経験がある石井貴投手コーチにアドバイスを受けながら、5月4日のロッテ戦(西武ドーム)で守護神デビュー。同13日の日本ハム戦(函館)で初セーブを挙げた。実現はしなかったが「(阪神の)藤川さんとか(ソフトバンクの)馬原さんに調整法や登板前の体の動かし方を聞こうとも思っていたんです」

 その直後、またも逆風にさらされた。写真週刊誌に女性問題の記事が載り、事態を重く見た球団から今度は「無期限抹消」を通告されたのだ。再び1カ月に及ぶ2軍暮らしが待っていた。シーズン中、決して口にしなかった謹慎生活の思いを明かす。

 「人によってさまざまに励ましてくれました。(佐藤)友亮さんは率先して飯にも誘ってくれたりして」。スキャンダルに苦しむ中で、周囲の気遣いが身に染みた。「後輩ともご飯行きましたけど、お金使ってしょうがなかったですよ」。涌井らしい言い回しで、気を紛らわせてくれた仲間に感謝した。その思いが復活の原動力となった。

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2012年11月24日のニュース