田口 涙の引退会見…1年浪人の末に「潮時だと思った」

[ 2012年9月11日 06:00 ]

引退会見でマイクを手に言葉を詰まらせる田口

 オリックスやカージナルスなどでプレーした田口壮外野手(43)が10日、都内で会見し、現役引退を正式に表明した。阪神大震災後に「がんばろう神戸」をかけ声としてイチロー外野手(38=現ヤンキース)らとパ・リーグを連覇した95、96年などを思い出に挙げ、涙を見せた。今後はホリプロ所属の野球解説者として活動する。

 断ち難い現役への未練が、涙となって表れた。何度も声を詰まらせながら、田口は「体力的、精神的には大丈夫だが、ふと“次のステップに進む時機かな”と思った」と話した。

 昨秋オリックス退団後、古傷があった右肩を手術。リハビリを進めながら7月31日の国内トレード期限までオファーを待つ一方で、将来の目標を思い浮かべるようになったという。「こういうことを考えだしたら潮時だと思った」と引退を決めるに至った心境を明かした。

 日本で12年、米国で8年戦った。数え切れない思い出。田口はその中から「阪神大震災の後の95、96年は鮮明に覚えている。震災の後のぐちゃぐちゃになった街、その中でプレーをしたことは特別なこと。大リーグでは、06年に初めて世界一になったこと。勝った瞬間は、映画のワンシーンのようにきれいに残っている」と振り返った。

 故仰木彬監督の指揮下、神戸復興のシンボルとなったオリックス。外野を、91年ドラフト同期のイチローと固めた。

 「2人でよく僕の車で出かけ、ギョーザを食べ、カツ丼を食べ、野球の話をして…という休日を過ごしたのが思い出です。一緒に1、2番を打ち、2人とも早打ちなので2球で2アウトになったり…。野球を知ってるのか!と先輩によく怒られました」

 そのイチローが「ライトとして最もやりやすいセンターだった」と回想したことを伝え聞くと、「守っていて目が合えば、お互いに何を考えているか分かる。凄く野球をしやすい選手でした」と笑顔で返した。

 マイナーからはい上がって06年カージナルス、08年フィリーズで世界一のチャンピオンリングを獲得した栄光も心の引き出しにしまい、第二の人生はホリプロのスポーツ文化部に所属し、解説者として歩きだす。会見に同席した同社の堀義貴社長は「これからの野球少年にアピールし、その先には野球界、メジャーリーグの指導者として活躍されたい田口さんの今後を応援したい」と話した。「謙虚に勉強し、いろんなレベルの野球に携わっていければ」。涙が乾いた視線の先に、新たな夢が広がっていた。 

 ▼オリックスT―岡田 田口さんとは2年間一緒にプレーさせていただきました。野球に取り組む姿や常に全力な姿勢、さまざまな状況を考えてプレーされる姿は参考になりました。野球人としても人間としても尊敬していましたし、全てにおいてお手本になる方でした。

 ◆田口 壮(たぐち・そう)1969年(昭44)7月2日生まれ、兵庫県出身の43歳。西宮北―関学大から91年ドラフト1位でオリックス入団。95年リーグ優勝、96年日本一に貢献。01年オフにFA宣言し、日本人3人目の野手として大リーグ移籍。06年カージナルス、08年フィリーズでワールドシリーズ優勝を果たした。カブスを経て、10年にオリックス復帰。11年オフに退団した。ベストナイン1度、ゴールデングラブ賞5度。00年シドニー五輪代表。1メートル77、77キロ。右投げ右打ち。

続きを表示

この記事のフォト

2012年9月11日のニュース