春夏連覇 大阪桐蔭・西谷監督 慣習打破し続け「目指す野球の形が完成」

[ 2012年8月30日 07:44 ]

大阪桐蔭を史上7校目の甲子園春夏連覇に導いた西谷監督

 今夏の甲子園で、大阪桐蔭を史上7校目の春夏連覇に導いた西谷浩一監督(42)。13年間の監督生活で春夏通算3度の優勝という輝かしい実績を誇り、教え子には西武の中村剛也内野手(29)、日本ハムの中田翔内野手(23)ら、プロで活躍中の選手も多い。優れた人材を育成しながら、常勝軍団をつくり上げた指導哲学に迫った。

 西谷監督は93年にコーチとして就任した直後にある改革を断行した。当時、野球部寮では1年生が上級生の洗濯に時間を取られ、練習が十分できなかった。

 似たようなことは、どこの野球部でも一般的だった時代。指揮官はこう振り返る。「その頃の大阪にはPL学園という、とてつもなく強い学校があった。そこに勝つために、周りと同じことをしていてはダメ。1年生の練習不足をなんとかしようと思いました」。

 そこで洗濯は各自、自分ですることを決めた。当然、上級生から不満が噴出したが、西谷コーチは切り返した。「嫌なら、洗濯物をカゴに入れて私のところにもってきなさい。全部やってやる」。これで文句は出なくなった。それ以降、掃除や背番号の縫い付けなど、学年を問わず「自分のことは自分でする」との風潮が生まれた。

 もう一つ、西谷監督の指導に欠かせないものが、野球交換ノート。これもコーチ就任直後に始めた改革の一つだ。現在も66人の部員全員が、気づいた点を書いて毎日、提出している。指揮官は必要とあらばアドバイスを書き込んで返す。限られた時間で全員とコミュニケーションを取る工夫だ。春夏連覇の立役者のエース藤浪にも「体が開いている。真の力を身につけよう」などさまざまな言葉を返した。藤浪が「監督は、よく見てくれているなと思います」と信頼を寄せるのは、この野球ノートによるところが大きい。

 自身は報徳学園時代に甲子園経験なし。3年夏の大会は、不祥事のために出場を辞退した。1浪して入った関大でもブルペン捕手。4年時には主将として部員を統率したが、選手としては大舞台とは無縁だった。それでも舞台裏から全体を見渡す目を養い、慣習にとらわれない指導法を身につけたことで、大阪桐蔭を全国屈指の強豪校に育て上げた。「目指す野球の一つの形が完成した」。監督通算13年目にして3度の優勝。その完成形は高校野球界に大きな一石を投じた。

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