小久保今季限りで引退 パワー衰えて決断

[ 2012年8月15日 06:00 ]

今季限りでの引退を表明し、ロッカールームに引き揚げる小久保

パ・リーグ ソフトバンク1-3ロッテ

(8月14日 ヤフーD)
 ミスターホークスがユニホームを脱ぐ。ソフトバンクの小久保裕紀内野手(40)が14日、今季限りの引退を表明した。ヤフードームで行われたロッテ戦後、緊急会見を開いて発表した。今季は6月24日の日本ハム戦(ヤフードーム)で史上41人目の通算2000安打を達成したが、本塁打はわずか2本。パワーの衰えを理由に、計8度の手術など波瀾(はらん)万丈の野球人生にピリオドを打つと宣言した。

 涙は最後まで見せなかった。だが、目は赤く充血し、時折声を震わせる場面もあった。ロッテ戦後の緊急会見。ユニホーム姿の小久保は「フリー打撃でもボールが飛ばなくなった」と苦渋の決断に至った胸の内を吐露した。

 球団は功労者の進退は本人に一任していたが、小久保は試合前に王貞治球団会長、秋山幸二監督らと会談。「今季限りで現役を引退します」と伝えたという。「8月いっぱい勝負を懸けて、来年もやろうという気持ちになるかというところだった。それより早く自分の気持ちが固まってしまった」。試合後、ナインにもロッカールームで伝えた。

 レギュラーシーズン43試合を残した突然の決断。最大の要因は、こだわり続けてきた飛距離の衰えだ。今季は打率・234で本塁打はわずか2本。2000安打を達成した一方で、最近はスタメンから外れ、代打としても起用されないままベンチを温める機会が増えた。「試合に出られなくなったというより、自分の実力。思い描いたボールを遠くに飛ばすのが長所でこの世界に入ってきて、なかなか練習でも入らなくなった。そういう葛藤ですよね」。絶好の角度で打球が上がっても平凡な外野フライに。王会長から長距離砲として育て上げられ、95年に本塁打王に輝いた。さらに史上17人しかいない通算400本塁打も達成した小久保にとって、現在の自分は到底受け入れられなかった。

 8度の手術、ダイエー(当時)から巨人への無償トレードなど、激動の野球人生に終止符を打つ時は来た。残されたターゲットはリーグ3連覇と2年連続の日本一。そのために19年間のプロ野球人生の全てをささげるつもりだ。小久保は「チームの力になれる最大限の努力をしたい」と誓った。

 王会長に決意を伝えた時は「涙がボロボロこぼれた」という。しかし、球場を引き揚げる際には「あまりしんみりするのもね。(チームメートには)気遣うよりも優勝して、胴上げして、引退させてくれと言うつもりだよ。最後は燃え尽きて終わりたい」と言った。思い立ったら一直線という小久保らしい幕引き。「一瞬に生きる」という座右の銘の通り、最後まで1球に魂を込める。

 ◆小久保 裕紀(こくぼ・ひろき)1971年(昭46年)10月8日、和歌山県生まれの40歳。星林高では投手で甲子園経験なし。青学大で遊撃手に転向し、92年バルセロナ五輪で銅メダル。93年ドラフト2位(逆指名)でダイエー入団。95年には本塁打王、97年には打点王を獲得。04年からの3年間は巨人に在籍し、07年にソフトバンクへ復帰。一塁手と二塁手で計3度のベストナインとゴールデングラブ賞に輝いた。11年には日本シリーズ史上最年長の40歳でMVP。1メートル82、87キロ、右投げ右打ち。

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