戦力外の松井に猶予は10日間 マイナーか自由契約か引退か…

[ 2012年7月27日 06:00 ]

<オリオールズ・レイズ>出場機会はなかったが、勝利したナインを迎えに行くレイズ・松井

 ついに戦力外…。レイズは25日(日本時間26日)、松井秀喜外野手(38)をメジャー40人枠から外し、戦力外を通告した。今後はトレード、自由契約、マイナーでの再契約などの可能性があり、8月3日(日本時間4日)までの10日間のうちに処遇が決まる。現時点でメジャーの他球団が獲得に動く可能性は極めて低く、松井が現役続行にこだわらなければ、引退という選択肢も一気に現実味を帯びてくる。

 華々しいキャリアが、こんな形で終わってしまうのか。24日のオリオールズ戦を終えた深夜。松井はレ軍のジョー・マドン監督から宿舎の自室に呼ばれた。その場で戦力外を通告されると「3Aに戻ることも含めて、時間をかけて考えたい」と静かに答えたという。翌25日の午前中にボルティモアを離れ、本拠地のあるフロリダ州タンパに移動。松井が24日に使った敵地のロッカーは新加入の内野手ロバーツのものとなり、松井の用具は全て片付けられていた。

 打率・147、2本塁打、7打点の不振。さらに左太腿の故障により外野出場が困難となったことも重なった。6月中旬、50打席に達した時点で「決断」が検討されていたが、指揮官は復調を信じて辛抱し続けた。しかし、球団側で設定していた100打席のデッドラインを21日に越えた。

 日米プロ20年目で初めての戦力外通告。今季の成績では他球団が獲得する可能性は極めて低く、米メディアは「松井のメジャー生活は終わった」などと報じた。今季中の日本復帰への道も日数的に限られている上、自身がオフから「今年はない」と否定し続けてきた。

 レイズでの背番号「35」は、代名詞だった「55」の一部と巨人時代の恩師・長嶋茂雄氏の「3」を合わせたものと同時に、別の意味もあった。「35」を「サイゴ」と読み「シーズンを最後まで戦うという意思。最後のシーズンになるかもしれないという覚悟」との思いを込めていたという。

 ヤンキース時代の06年以降は左手首、両膝と3年連続で手術。09年オフからは毎年移籍を経験し「いらないと言われれば、それまで。悔いはない。できる限りのことをやってきたつもり」と日々を完全燃焼してきた。今回は38歳には異例のマイナー再調整という選択肢も与えられ「やりきったとは思えない。まだ力は残っていると思う」とマドン監督から伝えられた時、松井はうなずいた。マイナーか、自由契約か、引退か…。ゴジラが最大の岐路に立たされた。

 ◆松井 秀喜(まつい・ひでき)1974年(昭49)6月12日、石川県生まれの38歳。星稜から92年ドラフト1位で巨人入り。96、00、02年にセ・リーグMVP。03年にヤンキースへ移籍し、09年ワールドシリーズではMVPを獲得した。今季は4月30日にレイズとマイナー契約を結び、5月29日にメジャーに昇格した。大リーグ通算で打率・282、175本 塁打、760打点。右投げ左打ち。1メートル88、95キロ。

続きを表示

2012年7月27日のニュース