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【小久保 独占手記】回復早かった“理由” 神様が「まだ野球しなさい」と

<ソ・日>4回2死一塁、中前に公式戦通算2000本安打を放つ小久保

パ・リーグ ソフトバンク0-6日本ハム

(6月24日 ヤフーD)
 振り返ると、ケガばかりの野球人生だった。8度の手術。その回数も2000本打った人の中では、上の方だと思う。この期に及んで…とも思ったが、1999本で登録抹消とならざるを得ない痛みが出たのは、ある意味、僕らしい達成の仕方だったのかもしれない。

 椎間板ヘルニアと診断され、復帰は球宴明けだと覚悟した。だが、抹消されると全国からヘルニアに関する便りを30通近く頂いた。全てを書くことはできないが、効果のある治療とも出合えた。昔からお世話になった先生をはじめ、多くの人の思いが、真っすぐ歩くことさえできなかった症状をこの短期間に緩和させてくれた。

 入団1年目の春季キャンプも、大学4年時の左腓骨(ひこつ)骨折を抱えたままだった。縁もゆかりもなかった福岡。当時のホークスは弱かった。ただ、「生え抜きの中心選手を育てたい」との熱意は凄かった。大学時代はジャイアンツにも誘ってもらったし、正直、迷った。でも、04年のトレードで移籍した時には「こんなに注目される球団やったらすぐ、クビになっていた」と感じた。ドラフト時の決断は間違いではなかった。

 ただ、巨人にいた3年間がなければ、今の自分はなかった。ずっとホークスの中心選手でいたら、きっと王様だった。外様より生え抜きが優遇され、「また、どっかの4番が来た」とファンの好奇の視線にもさらされた。小久保裕紀という男を知ってもらおうと必死になった。そのおかげで選手寿命も延びたと思う。06年に主将を任された時は、巨人に骨をうずめる覚悟をした。決意が揺らいだのは06年7月。たまたま自宅でつけたテレビに王貞治監督が映った。胃がんの告白。最初にレギュラーで使ってくれた人。一番、影響を受けた人。何に対しても逃げず、常に先頭で批判を受け入れ、はね返してきた人。映像を見た瞬間、恩返しは今しかないと思えた。

 若い選手に伝えたいのは、ライバルの存在は自分を高めてくれるということだ。王会長に長嶋茂雄さんがいたように、自分には3冠王にもなった信彦(松中)がいた。同じように不器用で鈍くさい。その代わりまあ、練習する。高知キャンプでは「こいつが帰るまで絶対、帰らん」と夕暮れまでバットを振った。点差のついた試合で、あいつがホームランを打った瞬間「入るな!」と叫んだこともある。それくらい数字では絶対負けたくなかった。そういう男がいれば、この世界で長く飯が食える。

 10月で41歳になる。レギュラーとして必要とされる以上、役に立ちたいと思う半面、そうでなければ現役にしがみつこうとは思わない。人生、やりたいこともある。すんなりと2000本を打っていれば、完全に一つの区切りを達成した感はあったのかもしれない。残り1本でのリハビリ。気持ちの張りもあったのだろう、回復のスピードは明らかに違った。それは神様が「まだまだ、野球をしなさい」ということなのかもしれない。待ち望んだ歓喜の瞬間。頭に浮かぶ次なる願いは「再び、日本一」だった。

[ 2012年6月25日 07:04 ]

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