チームとともに達成したエースの大記録 ジョージア魂賞・前田健

[ 2012年5月8日 10:00 ]

4月6日のDeNA戦でノーヒットノーランを達成した広島・前田健

 勝利に最も貢献したプレーをした選手を表彰する「ジョージア魂賞」のことしの第1回受賞者は広島の前田健。4月6日のDeNA戦で史上74人目のノーヒットノーランを達成した。スポーツライターの二宮清純氏が書くマエケンの“運命の瞬間”。

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 エイサ・ブレイナードと聞いてピンと来る人がいたら、よほどの米国野球通か博学の士である。米国最初のプロチームであるシンシナティ・レッドストッキングスの主力投手として活躍し、1869年には1シーズンで65勝を挙げたという説がある。今の野球とは比較できないとはいえ、数字だけ見れば怪物である。勘のいい向きは、もうお気付きだろう。このエイサこそは「エース」の語源。以来、米国ではチームを背負って立つピッチャーに、この称号が与えられるようになったと言われている。やがて、それが日本にも伝播(ぱ)したというわけだ。

 悠久の歴史を経て、今もエイサの遺伝子は脈々と生き続けている。さる4月6日、広島のエース前田健太が敵地での横浜DeNA戦でプロ野球史上74人目のノーヒッターを達成した。許した走者は四球の2人のみ。三塁ベースを踏ませない堂々たるピッチングだった。「直球が低めに集まっていたので、変化球も生きた。今日は6、7割の力でもスピードが出ていた」とマエケン。この「6、7割」がミソなのだ。

 マエケンが自らの生命線と頼むストレートへの自信を深めたのは2年前の4月8日の東京ヤクルト戦。「抜き加減で投げたところ、驚くほど低めにボールが伸びていった」というのだ。マエケンが一皮むけたのは、それからである。

 しかし、こうした“運命の瞬間”は誰にでも訪れるものではない。マエケンはプロになる前から「求めよ、さらば与えられん」とばかりにピッチングの本質を模索し続けてきた。一例が独特の調整法だ。この国にはいまだに“投げ込んでフォームを固める”という慣習がある。間違っているわけではない。多くの名投手がそうやって地歩を築いてきた。だが、マエケンは違う。「12月と1月、たった2カ月、ピッチングをしなかったくらいでフォームを忘れるような選手はプロではない」。この自信、この覚悟――。

 チームの勝敗を一人で背負うエースは、どこまでも孤独である。しかし、彼に孤立感はない。この試合でも8回に梵英心の乾坤一擲(けんこんいってき)のファインプレーが飛び出した。誰もが大記録のために一肌脱ごうとしていた。エースは常にチームとともにある。

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