“A・ロッド”堂林がV弾!背番号に込められた思い開花

[ 2012年4月25日 06:00 ]

<神・広>8回1死、広島の堂林は決勝の中越えソロを放つ

セ・リーグ 広島1-0阪神

(4月24日 甲子園)
 広島のプリンスが思い出の甲子園で輝きを放った。0―0の8回1死。メッセンジャーのスライダーを捉えた堂林の打球はバックスクリーン右へ飛び込んだ。プロ初本塁打は、チームの連敗を3で止める値千金の決勝弾。ヒーローインタビューでは甘いマスクから時折、白い歯をのぞかせた。

 「マエケンさんがずっとゼロに抑えていたので何とか1点という気持ちだった。思い出の地でもあるし、ここでホームランを打ててよかった」

 3年前の夏。堂林は甲子園の主役だった。中京大中京のエース兼4番として日本一に輝いた。投球以上にスカウトの注目を集めた打撃は全試合で安打と打点をマークし、打率・522。日本文理(新潟)との決勝戦でも先制2ランを右中間に放り込んだ。「センターから右は調子がいい時の打球です」。プロ入り後、2軍では甲子園で6試合プレーしているが、本塁打はゼロ。聖地での一発は「あの夏」以来となった。

 5回の守備では大和の三ゴロを失策。キャンプから付きっきりで指導し、プロ2年間で1軍出場が一度もなかった20歳を開幕から全試合で起用している野村監督は「エースに迷惑を掛けたが、あそこで打ったのは良かった」と汚名返上する精神力とともに称賛した。

 前カードの中日戦(マツダ)では12打数1安打と不振。一時はトップにも立った打率は急降下気味だったが、甲子園で再び大きな自信をつかんだ。背番号は13。球団は、ヤンキースの強打の三塁手、アレックス・ロドリゲスのようになってほしいとの願いを込めて同じ番号を与えた。チームの将来を背負う堂林は「甲子園?今はもうプロ。あの時のことは忘れてほしいぐらいです」と最後はプロで戦う決意を言葉に込めた。

 ◆堂林 翔太(どうばやし・しょうた)1991年(平3)8月17日、愛知県生まれの20歳。小2から野球を始め投手兼内野手。中京大中京では1年春からベンチ入りし、甲子園には3度出場。エースで4番を務めた3年春は8強。同年夏は同校を43年ぶり7度目の全国制覇に導いた。1メートル83、81キロ。右投げ右打ち。

 ▽堂林と甲子園 中京大中京では2年春(試合出場はなし)、3年春夏に出場。センバツでは12打数7安打4打点、打率・583をマークし、夏は23打数12安打12打点、打率・522。大会タイ記録の6二塁打も記録した。春夏合わせると9試合で35打数19安打16打点、打率・543。全ての試合で4番打者として先発し、3年夏の日本文理との決勝戦では、初回に右中間へ先制2ランを放っている。

 ≪江藤超え!球団最年少≫広島が堂林のプロ初本塁打のみの1点で勝利した。広島で1―0で勝った試合の本塁打は、昨年8月9日ヤクルト戦のバーデン以来。20歳8カ月の若さでの1―0決勝弾は、91年5月6日中日戦の江藤智(21歳0カ月)を上回る球団最年少となった。

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