大阪桐蔭初V!“浪速のダル”藤浪 本家超え150キロ

[ 2012年4月5日 06:00 ]

<大阪桐蔭・光星学院>初優勝を決め藤浪を中心に歓喜の輪を作る大阪桐蔭ナイン

第84回センバツ高校野球大会決勝 大阪桐蔭7―3光星学院

(4月4日 甲子園)
 本家を超えた――。大阪桐蔭(大阪)が決勝で光星学院(青森)を下し、初優勝を飾った。「浪速のダルビッシュ」の異名を持つエース・藤浪晋太郎投手(3年)は、センバツの決勝では初の150キロを計測するなど、12安打を許しながら3失点で完投勝利。全5試合に登板し659球の熱投でチームを頂点に導いた。光星学院は昨夏に続く準優勝。東北勢は春夏通じて9度目の日本一挑戦だったが、またも優勝はならなかった。
【試合結果】

 1メートル97。優勝の瞬間、藤浪は長い両手を思い切り伸ばした。自身初の全国の舞台で、5試合で計659球を投じて勝ち取った栄冠。お立ち台では開口一番、「最高です!」と声を弾ませた。

 「今まで全国大会に出たこともなかった自分の人生の中で、(優勝は)凄く大きなこと。ほっとした感じ。夢の中みたい」

 尻上がりに調子を上げた。「緊張していないつもりだったのに、マウンドに上がったら力んだ」と、3回までに6安打2失点。5回にも4番・北條に、この日2本目の適時打を浴びた。「光星学院は恐怖を感じる打線でした」。5回終了後に自身の投球を冷静に見直し、以降は力を抜いて投げることを意識。7回からはセットポジションに変えて制球が安定した。ラスト4イニングは散発3安打無失点。計12安打を許しても、最後まで試合の流れを相手に渡さなかった。

 「本家」を超えた。東北のエースだったダルビッシュ(レンジャーズ)は、03年夏の決勝で敗退。チームをセンバツ初制覇に導いた浪速のダルが、紫紺の大旗の次に狙うのは松坂(レッドソックス)だ。「西谷先生が“唯一どうしようもない投手だった”と言っていた。夏には自分もそういう投手になっていたい」。横浜3年時の98年に春夏連覇を達成。そんな平成の怪物に肩を並べるためにも――。藤浪は「下半身を鍛えてリリースポイントを安定させたい。夏までにしっかりつくっていけたら大丈夫だと思う」と言葉に力を込めた。

 潜在能力は松坂にも負けていない。この日も直球は最速150キロを計測。スピードガンが普及した80年以降のセンバツ決勝で150キロをマークした初の投手となった。98年の松坂は145キロ、09年の花巻東・菊池(西武)も144キロが最速。それでも「球速アベレージ、球質も落ちていた」と満足はしていない。

 恒例の胴上げは、「まだ夏がある」という西谷浩一監督の意向で行われなかった。もちろん藤浪の思いも同じだ。「春に勝っても、夏に優勝できないと意味がない」。まだまだ序章。真夏、伝説を自身の右腕で締めくくる。

 ◆藤浪 晋太郎(ふじなみ・しんたろう)1994年(平6)4月12日、大阪府生まれの17歳。小学1年から野球を始める。宮山台中では大阪泉北ボーイズに所属し、3年時に世界選手権に出場。大阪桐蔭では1年夏からベンチ入り。2年春から背番号1を背負う。趣味は長風呂。好きな野球選手はダルビッシュ(レンジャーズ)。1メートル97、88キロ。右投げ右打ち。

 ≪春夏優勝は27校目≫大阪桐蔭は夏は91、08年と優勝しており、春は初優勝。春、夏で優勝は27校目。大阪勢は春夏通算19度目の優勝で、並んでいた愛知を抜き単独最多となった。打線は5試合で6本塁打を放ち、優勝校では09年清峰の5本を抜き歴代最多(大会記録は8本)。長打力で他校を圧倒した。

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2012年4月5日のニュース