天国に吉報!「炎のストッパー」津田さん殿堂入り

[ 2012年1月14日 06:00 ]

広島を支えた「炎のストッパー」津田氏

 炎のストッパー、殿堂入り――。野球殿堂入りを決める野球体育博物館の表彰委員会は13日、競技者表彰のプレーヤー部門で元広島の津田恒実投手(享年32)、北別府学氏(54)を選出した。津田氏は闘志あふれる投球スタイルで抑えとして活躍。しかし93年7月20日、脳腫瘍のため志半ばでこの世を去った。会見には夫人の晃代さん(48)と一人息子の大毅さん(23=会社員)が出席。故人の思い出を語り、受賞を喜んだ。表彰式は7月に予定されているオールスターゲーム第1戦(京セラドーム)で行われる。

 まさに記憶に残る投手だった。太く短い野球人生。津田氏は右手中指の血行障害を患い、脳腫瘍に侵され、現役生活は10年で終わった。記録面では野球殿堂入りした先人に大きく劣る。しかし得票は昨年の212票から237票へと伸びた。

 「マウンドで首を振ったら必ず真っすぐ。味方にも敵にも分かった。それでも真っすぐ勝負にこだわった」。91年に津田氏とダブルストッパーを務めた広島・大野チーフ投手コーチは振り返る。86年5月8日の阪神戦(甲子園)では、9回1死満塁で弘田、バースをオール直球で2者連続3球三振。同年9月24日の巨人戦(後楽園)では、直球をファウルした原(現巨人監督)が左手首を骨折した。91年4月14日の巨人戦(広島)で、最後の相手となったのがその原。北別府氏の後を受けて8回から登板も、無死二、三塁から同点の左前打を浴びた。そして降板。これが津田氏の生涯最後のマウンドだった。

 「巨人戦は体調が悪いのは分かっていた。つらかったですね」。晃代夫人は自宅テレビで観戦。翌15日に広島市内の病院で精密検査を受け、脳腫瘍と診断された。「ツネ(津田)のためにも優勝しよう」。当時の山本監督やナインはポケットにお守りを忍ばせ、一丸となって優勝を果たした。

 精神面の弱さを克服するため、津田氏は「弱気は最大の敵」「一球入魂」と書いたボールを持ち歩き、マウンドでは阿修羅のごとく振る舞った。しかしユニホームを脱ぐと一転。冗談好きで「優しい人」(晃代さん)になった。ファンの脳裏に今も鮮烈に刻まれる「炎のストッパー」。時空を超えて、その勇姿がよみがえった。

 ◆津田 恒実(つだ・つねみ)1960年(昭35)8月1日、山口県生まれ。南陽工で78年センバツでベスト8。同年夏も出場した。協和発酵を経て81年ドラフト1位で広島入団。82年に11勝6敗、防御率3・88で新人王。右手血行障害の手術などを経て、86年に抑えとしてカムバック賞。89年には最優秀救援投手に輝いた。91年4月14日巨人戦(広島)を最後に脳腫瘍のため入院。同年限りで引退した。93年7月20日、32歳の若さで死去。通算成績は286試合で49勝41敗90セーブ、防御率3・31。

続きを表示

この記事のフォト

2012年1月14日のニュース