西本さん葬儀は“思い出の地”で…福本氏は阪急ユニで弔問

[ 2011年11月27日 06:00 ]

阪急のユニホーム姿で弔問に訪れた福本豊氏

 阪急、近鉄などで監督を務め「悲運の名将」と呼ばれた西本幸雄(にしもと・ゆきお)氏(享年91)の死去から一夜明けた26日、球界に悲しみが広がった。兵庫県宝塚市の自宅には門下生の福本豊氏(64=野球評論家)が阪急のユニホーム姿で弔問に訪れた。通夜、葬儀・告別式は阪急時代の本拠地・西宮球場跡地にほど近い斎場で営まれることが決まった。

 宝塚市の自宅居間のベッドに横たわる西本幸雄氏は本当に眠っているようだった。入院中は「家にいる夢ばかり見る」と帰りたがっていた住み慣れた自宅。安らかな顔で永い眠りについていた。

 一夜明けたこの日は、福本豊氏が阪急のユニホーム姿で弔問に訪れた。川西市内の少年野球チームを指導する予定が入っており、阪急ファンのチーム指導者に「ぜひ阪急のユニホームで」と頼まれていた。現役時代の本物ではないが「西本監督」に会いに行く格好としては「これでいいかな」と「Braves」、背番号「7」で訪れた。

 阪急時代に熱血指導を受けた一人。「一番世話になった監督。ちびすけ(公称1メートル68)の僕でもプロでやれた。体調が悪いのは聞いていたから、心配はしていました。きのうは眠れなかった。現役の時にいろいろ言われたことを思い出します」。目は赤く腫れていた。

 80、81年と近鉄・西本監督の下でコーチを務めた山本一義氏(73=野球評論家)は広島から早朝の新幹線で駆けつけ「22日に電話で話したところだった。声が張っていたし」と、突然の訃報を悲しんだ。また、日本シリーズで5度対戦したライバルの巨人元監督・川上哲治氏(91=同)からは自宅に弔電が届いた。

 葬儀・告別式の会場は、阪急西宮北口駅前の斎場に決まった。阪急のコーチ、監督時代に本拠地とした阪急西宮スタジアム(西宮球場)の跡地にほど近い場所。長女の大家由実さんら遺族は西本氏が長年通った場所に自然と親しみを感じていたのだろう。多くの教え子や球界関係者との別れを告げる場所としてはふさわしい。91年の生涯を全うした西本氏も、その場所を訪れるのを喜んでいるに違いない。

 ◇西本幸雄氏葬儀日程
【通夜】28日(月)午後6時
【葬儀・告別式】29日(火)午前11時
【場所】エテルノ西宮=兵庫県西宮市高畑町2の25=(電)0798(66)6622
【喪主】長女大家由実(おおや・ゆみ)さん
 ※香典は辞退、供花は同会館で受け付け

 ▽阪急西宮球場 1937年5月1日開場。日本初の2階建てスタンドを設置するなど、近代的な外観が話題を呼んだ。当初より阪急の本拠地で(正式本拠地化は52年)89年から球団親会社がオリックスに代わったが、90年まで使用。本拠地撤退後の91年、多目的スタジアムを標ぼうし「阪急西宮スタジアム」に改称。主にアメリカンフットボール、競輪が開催された。02年施設老朽化により閉鎖し、04年に取り壊された。跡地には08年、大型複合商業施設「阪急西宮ガーデンズ」がオープンしている。

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