松本、同点ソロ&劇打!!JR東日本サヨナラ初V

[ 2011年11月2日 06:00 ]

<NTT東日本・JR東日本>11回無死二塁、松本が左中間にサヨナラ二塁打を放つ。捕手上田

都市対抗野球決勝 JR東日本2-1NTT東日本

(11月1日 京セラD)
 1927年に始まった大会で史上初となる東京勢同士の決勝を行い、JR東日本が延長11回、松本晃外野手(26)の左中間越え適時二塁打でNTT東日本に2―1でサヨナラ勝ち。創部91年目、14度目の出場で悲願の初優勝を果たした。橋戸賞(最優秀選手賞)には松本が選ばれた。NTT東日本は電電東京時代の81年以来、30年ぶり2度目の優勝を逃した。大会は8月下旬に東京ドームで開幕する予定だったが、東日本大震災の影響で延期。この日程変更で秋の社会人日本選手権が初めて中止となり、都市対抗を制したJR東日本が同選手権覇者とみなされる。
【試合結果 組み合わせ】

 普段はクールな男が走りながら泣いていた。延長11回無死二塁。1ボールからの内角直球を振り抜いた打球は左中間フェンスを直撃。死闘に終止符を打った。サヨナラだ。抱き合うナインの目には涙が浮かんだ。

 「最後に打てたのは奇跡。監督から打席に入る前に“送りバントはない。おまえに任せたぞ”と言われて、ここは4番として自分で決めるつもりだった。思い切り振り抜いた。野球をやってきて今一番楽しいし、最高に気持ちいい」

 チームの窮地を救った。7回には先頭で左翼3階席に本塁打を叩き込んだ。NTT東日本の先発・小石の前に6回まで無安打、11三振。チーム初安打が値千金の同点弾。4番の一撃でチームは息を吹き返した。

 今春から4番に指名された。昨年も都市対抗前までは4番を打っていたが、不振で大会直前で4番降格。打撃の確実性を重視して、膝を深く曲げ、バットを寝かせる新フォームに改造。決勝の舞台で全打点を挙げる活躍につながった。

 2回戦のヤマハ戦で主将の斎藤が左太腿裏を肉離れして離脱。松本はその夜に「俺の分まで打ってくれ」と斎藤から背番号3の刺しゅうの入った黒のリストバンドを託された。松葉づえをつきながら号泣する斎藤に、松本は「ケガしてから絶対に勝ちたいという気持ちが強くなった」とチーム一丸の優勝を強調した。
 東日本大震災の影響で秋に延期され、東京以外で初開催となった第82回大会。創部91年目で悲願の初優勝を果たした堀井哲也監督は「長かった、苦しかった。チームの結束力はもう120点、凄い。都市対抗が開催されることに感謝して、精いっぱいのプレーを心掛けてきた」と感無量の表情を浮かべた。特別な思いを込めて戦った大会。その決勝の舞台で劇的な幕切れ。大会史に残る優勝だった。

 ◆松本 晃(まつもと・あきら)1985年(昭60)4月4日、大阪府生まれの26歳。PL学園時代は3年夏に4番として甲子園出場も、2回戦の福井商戦で4三振してチームも2―4で敗退。横浜商大では2年春から4番。JR東日本に入社し、昨年の都市対抗では控え外野手として1試合に出場。1メートル82、80キロ。右投げ右打ち。

 ▼JR東日本 1987年(昭62)4月1日設立。社員数は5万9650人(11年4月1日現在)。資本金は2000億円。硬式野球部は東京鉄道局として1921年(大10)に創部し、87年の国鉄民営化に伴いJR東日本に改称。都市対抗は2年連続14度目の出場。日本選手権の最高成績は8強。主なOBは赤星憲広氏(元阪神、本紙評論家)ら。本社は東京都渋谷区代々木2の2の2。清野智社長。

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