JR東海75年ぶり8強入り 継投で逃げ切る

[ 2011年10月29日 06:00 ]

<JR東海・東京ガス>4回1死二塁、日野原が適時三塁打を放ちガッツポーズ

都市対抗野球第7日 JR東海2―1東京ガス

(10月28日 京セラD)
 2回戦3試合が行われ、JR東海(名古屋市)が名古屋鉄道局時代の第10回大会(1936年)以来、75年ぶりに8強入りした。4回に2点を先制したJR東海は秋葉知一投手(29)、大福翼投手(27)の継投でしのぎ、東京ガス(東京都)に2―1で競り勝った。また、NTT西日本(大阪市)が9年ぶり、住友金属鹿島(鹿嶋市)が2年連続で準々決勝に駒を進めた。

 勝利の瞬間、三塁側のJR東海応援席からひときわ大きな歓声が上がった。1回戦で優勝候補のJR九州を破った勢いそのままに、昨年まで2年連続8強の強豪・東京ガスも撃破。実に、75年ぶりの8強入りを決めた。

 「JR東海に改称してから(1大会で)2勝したこともなかったので、選手たちには“2つ勝って歴史に名前を刻もう”と話していた」。国鉄名古屋からJR東海にチーム名を改称後初の採用選手として88年に入社した「JR1期生」の小栗洋一郎監督は、新たな歴史の扉を開いた喜びをかみしめた。

 4回に3連続長短打で2点を先制したが、追加点が奪えない苦しい展開。先発の秋葉は9安打を許しながら7回途中まで1失点と耐えた。日産自動車の休部に伴って移籍した左腕にとってはJR東海の一員としての大会初勝利。「野球を続ける機会を与えてくれたチームに恩返しがしたかった」。こぼれた笑みが団結するチームの雰囲気の良さを物語った。

 秋葉のあとを受けた2番手の大福も「福」をもたらした。1点リードの7回無死二塁から登板。最初に対戦した4番・佐々木の打席で捕手・江口が投球を後逸し、無死三塁。それでも「犠飛で1点はOKと思って開き直りました」と、落ち着いて後続を断った。07年に王子製紙の補強選手として都市対抗のマウンドを経験したが、その後は病気や故障が重なってほとんど戦力になれなかった。それだけに「このために帰ってきました。会社に恩返しがしたい」と、1安打無失点で最後までリードを守りきった。

 1921年、名古屋鉄道局として創部の古豪。都市対抗には27年の第1回大会から10年連続出場を果たし、29、30年には準優勝。その後、名古屋鉄道管理局、国鉄名古屋、JR東海とチーム名が変遷する間に栄光は色あせていった。

 しかし、もう過去は振り返らない。「うちには突出した選手はいない。次からも一つ一つ、大事に全員野球で粘り強く戦っていく」と指揮官。次の目標は、81年ぶりの4強だ。

▼1936年(昭11)の世相 高橋是清蔵相が青年将校に殺害された2・26事件が有名。5月には阿部定事件が起きた。10月には堀田弥一(ほった・やいち)が日本人初のヒマラヤ登頂を果たした。長嶋茂雄巨人終身名誉監督、落語家・立川談志、俳優・市原悦子ら多くの著名人が誕生。

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2011年10月29日のニュース