“つなぎ”の高木氏「次の若い監督につなげなければ」

[ 2011年9月23日 06:00 ]

95年6月2日阪神戦で審判に暴行し退場となった高木監督(中央は立浪)

 中日の来季新監督就任が決まり、名古屋市内で会見を行った高木氏は「失敗は許されない。目標は優勝。これしかない。余命を懸ける、それくらいのつもりでやらないと勝てない」と力強く話した。

 「若手、中堅は落合監督に鍛えられて徐々に力を出してきた」とチームを分析し、「それにプラスアルファを加えていきたい」と話した。年齢的に短期政権の可能性は高いが、本人もその点は意識し、役割は自覚している。

 「来年、結果を残さないと、(次は)ないと思っています。次の若い監督につなげなければ、という気持ち。ドラゴンズで育ってきた。全力で恩返しを」
 
 新監督としての初仕事は10月27日のドラフト会議になる見込み。92年からの2度目の任期中には、巨人と最終戦(ナゴヤ)決戦となった伝説の94年「10・8」でも指揮を執った。95年には成績不振のため、シーズン途中で辞任。その年6月2日の阪神戦(甲子園)で、判定をめぐり友寄正人審判員に暴行し、退場処分を受けたのが最後の采配となっていた。16年のブランク。史上最多タイの同一球団で3度の監督就任。まさに異例づくしの復帰だった。

 ◆高木 守道(たかぎ・もりみち)1941年(昭16)7月17日、岐阜県出身の70歳。県岐阜商から60年に中日入団。俊足巧打を武器に3度の盗塁王、7度のベストナインを獲得。78年から選手兼任コーチを務め、80年現役引退。通算成績は打率・272、236本塁打、813打点、369盗塁。翌81年からも中日でコーチ、2軍監督。86年はヘッドコーチとして7月からシーズン終了まで途中休養した山内監督の代行を務めた。92年に中日の監督就任。95年にチームの成績不振を理由にシーズン途中で辞任した。06年に野球殿堂入り。現在は中日のOB会長。

 ≪3期は球団最多タイ≫高木氏は86、92~95年と過去2期にわたり中日の監督を歴任。中日で3期監督を務めると天知俊一監督が49~51、54、57~58年と中日(51年は名古屋)で指揮を執ったのに並ぶ最多回数になる。なお高木氏は前回95年に退任してからは16年ぶりの監督復帰。過去、最も長いブランクを経ての就任は森茂雄監督(39年イーグルス→59年大洋)、高田繁監督(88年日本ハム→08年ヤクルト)の20年ぶり。この記録には及ばないが、中日では杉浦清監督の15年ぶり(退任48年→復帰63年)を抜く最長ブランクだ。

続きを表示

2011年9月23日のニュース