光星大勝!川上 大会史上初の満塁弾&ランニング弾

[ 2011年8月12日 06:00 ]

<光星学院・専大玉名>3回無死満塁、光星学院・川上は左中間に満塁弾を放つ(投手・江藤)

93回全国高校野球選手権大会2回戦 光星学院16―1専大玉名

(8月11日 甲子園)
 打って走って投げて――。まさに独り舞台だ。第2試合で光星学院(青森)が専大玉名(熊本)に16―1で快勝。今秋ドラフト候補の3番・川上竜平投手(3年)が、満塁弾とランニング本塁打を2打席連続で放つという大会史上初の離れ業を演じた。2打席連続アーチ自体も08年の筒香嘉智(横浜)以来24人目(25度目)で、打点も1試合個人最多にあと1と迫る7打点。投げても6回1失点で勝利投手。16得点は青森県勢最多と、まさに記録的大勝を演出した。
【試合結果】

 夏の甲子園には、真っ青な空と快音が似合う。川上が2万7000人の大観衆の視線を独り占めした。その序曲は3回だった。無死満塁。初球スライダーを、左翼スタンド中段へと叩き込んだ。

 「チャンスだったので初球から打ちにいこうと思った。センバツは攻撃力があると言われて打てなかったので、夏は思い切りいこうと思った」

 超ド級のグランドスラムは高校通算25号。日本ハム・中田の下半身の使い方を研究したという、重心を落としたどっしりとした構えが飛距離125メートルの特大弾を生み出した。しかし観客の歓声とどよめきは、これだけでは終わらなかった。5回1死。再びスライダーを左中間へ運ぶと、左翼手と中堅手が交錯。ボールが外野を転々と転がる間に、50メートル走6秒2の俊足を飛ばして、ダイヤモンドを疾走した。

 「三塁に行けるかな、と思ったが、ベースコーチが腕を回していたので」。一気に本塁を駆け抜けるランニングホームラン。2打席連続で満塁弾&ランニング本塁打を放つのは、夏の大会史上初の快挙だ。さらに4打席目は中前打、5打席目は右犠飛で計7打点。投げても自己最速の145キロを計測するなど、6回1失点の好投を見せた。打って、走って、投げて――の独り舞台だった。
 プロ注目のスラッガー。中学時代までは漫画「巨人の星」のような生活を送ってきた。学生時代にソフトボール選手だった母・道子さん(45)が自宅の駐車場にネットを張り、練習後に帰宅した川上に自らトスを上げて毎日2時間のティー打撃。約10キロ離れた練習場までの行き帰りも自転車で走る息子の後を、道子さんが車で追いかけた。母の夢は「息子をプロ野球選手にすること」。日本ハムの山田正雄GMは「ウチの中田の構えに似てる。スイングも速い。もしかすると(2巡目までの)24人に入ってくるかも」。母子2人の夢の実現へ、大きな可能性を抱かせる活躍だった。

 3月11日の東日本大震災からちょうど5カ月。同校のある八戸市も大きな被害を受けた。「きのう、チームメートと“あすで5カ月だ”と言っていた。春はやっていいのか、という気持ちだったが、今は逆に勝つことで元気づけられると思っている」と川上。その快音は浜風に乗って、遠く被災地にも届いたに違いない。

 ≪2打席連続本塁打は筒香以来25度目≫光星学院・川上が満塁弾を含む2打席連続本塁打。夏の2打席連続本塁打は08年の筒香(横浜)以来、3大会ぶり25度目(24人目)。そのうち満塁弾を含んでいるのは02年水野(池田商)、95年福留(PL学園)、前述の筒香がいる。満塁本塁打とランニング本塁打を2打線連続で1人で打ったのは、川上が夏の大会史上初めてだ。なお、79年夏には横浜商が豊浦との3回戦で、満塁本塁打とランニング本塁打を別の選手が記録している例がある。

 ◆川上 竜平(かわかみ・りゅうへい)1993年(平5)5月8日生まれ、沖縄県出身の18歳。小学2年生時に仲井真ライオンズで野球を始める。ポジションは捕手。仲井真中では那覇国際ポニーズに所属し、ジャイアンツ杯に出場した。光星学院入学後は、2年春から投手も兼務。遠投は110メートルで、50メートル走は6秒2。1メートル81、80キロ。右投げ右打ち。

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