豊中市VS松山市 明治の野球「の・ボール」で交流試合

[ 2011年8月6日 19:53 ]

 夏の甲子園大会が開幕した6日、全国高校野球選手権大会発祥の地、大阪府豊中市で、明治時代の野球「の・ボール」の交流試合が行われた。同市と俳人・正岡子規の故郷、松山市の選抜チームが対戦した。

 幼名「升」にちなみ、雅号を「野球」としたほど野球好きだった子規。2002年に野球殿堂入りしたことを機に、松山市が明治時代の野球を「の・ボール野球」と命名、スポーツ文化として継承している。

 選手はスパイク代わりに地下足袋を着用。投球は下投げ、打者が指定したゾーンに投球するなど、子規が楽しんだ明治時代のルールに従った。

 少年野球チームに所属する豊中市立原田小の辻本竣亮君(9)は「いつもとルールが違うので緊張したけれど思ったより簡単だった」と笑顔を見せた。

 豊中市では1915年に全国高校野球選手権大会の前身、全国中等学校優勝野球大会が初開催された。

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