木内監督「もう一回監督?150%ない ガハハ」

[ 2011年7月28日 06:00 ]

試合終了後、記者の質問に答える常総学院・木内監督

茨城大会準決勝 常総学院0-2藤代

(7月27日 水戸市民)
 甲子園で春夏3度の優勝を飾った常総学院の木内幸男監督(80)が27日、58年間にわたる監督生活に幕を下ろした。第93回全国高校野球選手権大会(8月6日から15日間、甲子園)の茨城大会準決勝で、常総学院は藤代と対戦し、0―2で敗退。今夏限りで退任を明言していた木内監督の夏が終わった。試合後にはがんに侵されていることも告白した。
【茨城大会結果 27日の結果 甲子園通算勝利監督ランキング】

 58年間にわたる監督生活についに終止符を打つときがやってきた。「これで最後」と心に決めて臨んだ今大会。甲子園出場という形で有終の美を飾ることはできなかった。それでも最後まで木内監督は木内監督だった。

 「監督なんて生きてても死んでても関係ないのに、私が最後だからと選手が硬くなっちゃった。やっと解放されたよ。もう一回監督?ないです。150%ない。ガハハ」

 代名詞の「木内マジック」は封印した。3度の無死一塁の場面でも動かず、定位置のバットケースの裏で試合を見守り続けた。「今年は打っていこうというチームづくりをしていましたから。力で押していこうと」。一つのやり方に固執せず、勝つために最善の戦い方を模索する。結果には結びつかなかったがこれが長年の監督業で染みついたスタイルだ。

 波乱に富んだ監督生活だった。53年に21歳で母校の土浦一の監督に就任。56年から取手二の指揮を執ったが、甲子園への道は険しかった。月給6万円と金銭的に厳しい生活が続き、自宅で打順を考えたりする際は、チラシの裏を使って何通りもの打順を書き込んだ。甲子園で悲願の初優勝を飾ったのが84年夏。53歳だった。その後、常総学院に移り、春、夏1度ずつ優勝。名将としての地位を不動のものとした。

 木内監督は最後にマジックの種明かしをした。「マジックの秘けつ?観察力ですね。相手投手がどう攻めてくるのか。打者がどう打ってくるのか。そこに一番注目してずっとやってきましたから」。日本中を驚かせたあの采配はもう見られない。だが「木内マジック」は高校野球ファンの心にいつまでも鮮明に焼き付けられている。

 ◆木内 幸男(きうち・ゆきお)1931年(昭6)7月12日、茨城県土浦市生まれの80歳。土浦一を卒業後、コーチを経て53年に同校の監督に就任。56年から取手二監督。84年夏に茨城県勢として初の全国制覇を果たした。同年秋から常総学院の監督となり、01年春と03年夏の甲子園で優勝した。03年秋に一時は監督を退いたが、07年秋から復帰。甲子園通算勝利は歴代5位の40勝。

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