松井が日米通算500号で生涯メジャーを宣言

[ 2011年7月22日 06:00 ]

<タイガース・アスレチックス>6回、右翼ポール直撃の会心弾を放つ松井

ア・リーグ アスレチックス7―5タイガース

(7月20日 デトロイト)
 希代のホームランバッターが苦難を乗り越え、金字塔を打ち立てた。アスレチックスの松井秀喜外野手(37)は20日(日本時間21日)、タイガース戦の6回に7号ソロ。103打席ぶりの本塁打は、日米通算500号(日本332、米国168)となった。日本選手では過去8人が到達しているが、日米通算記録としては初めて。7回には決勝打を放ち、偉業達成を勝利で祝った松井。度重なる故障にも直面しながら、大きな節目にたどり着いた。

 打球は高く舞い上がった。急いで走りだす必要はない。右翼ポールに当たるのを打席で見届けた。6回無死からの7号ソロ。静まりかえる敵地で、松井が500度目のベース一周を始めた。

 「距離的にはいくと思った。だいぶ時間がかかりましたけど、あした以降ようやく、そういう(500号の)質問をされないのでよかった」。6月16日のロイヤルズ戦で通算499号を放ってから出場25試合、103打席目の一発。日米で500号を達成した計34選手の中では王手をかけてから最も時間を要した。

 日米通算500号にあと7本で迎えたプロ19年目。だが、到達に4カ月近くもかかった。「4番」として迎えられた新天地だったが、前半戦は打率・209、6本塁打、34打点と期待を裏切った。両膝は「手術後では一番いい」状態をキープしていたが、結果に表れないジレンマ。5月以降、ボブ・ゲレン前監督が解任される前日の6月8日までの36試合のうち先発落ちは、実に15試合。レギュラーを剥奪され、チームの低迷もあり、不振が続けば「戦力外」という崖っ縁にいた。

 6月に37歳になった。首脳陣は不調の原因を「疲労で振りが鈍くなった」と指摘した。約1カ月、本塁打から遠ざかる中、松井の口から珍しく弱気な言葉が聞かれた。年齢的な衰えについてはこれまで否定してきたが「その可能性はある」と初めて漏らした。思うような打撃ができない焦りと同時に、肉体の変化も敏感に感じ取っていた。だが「全てはシーズンが終わってから振り返ること」と前を向き、早出や居残り特打でバットを黙々と振り続けた。

 体のケアにも入団当初から細心の注意を払ってきた。「暴飲暴食を避けるのは基本。あまり飲みにもいかなかったし。若い頃から(長くやるために)考えていた。体も衰えるから」。06年には左手首を骨折、07、08年には両膝を立て続けに手術した。再発を防ぐため、試合前には入念な準備を欠かさない。真夏でも温水浴を施し、グラウンドでは膝のストレッチを欠かさない。選手生命への不安が襲っても「治るものである限り、やめたいと思ったことはない」と、はい上がってきた。

 巨人とヤンキース。日米の伝統球団で主砲として日本シリーズとワールドシリーズを制覇した。頂点を極めた後はそれを守り続けるか、下るか。昨季のエンゼルス、今季のア軍では満足な結果を残せていない。選手の宿命として、いつかは「引退」の2文字も考えなければならない。

 それでも松井は言った。「日本でやるつもりはない。それは前から同じ。(メジャーで)いらないと言われれば、それまで。悔いはない。できる限りのことをやってきたつもり」。500という過去の積み重ねへの特別な感慨は「正直ない」という。常に前だけを見てきた。メジャーという最高の舞台で毎日、毎打席の完全燃焼。そこから、新たな放物線が描かれていく。

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