パパから松井に手紙「天国と地獄垣間見る毎日ですね」

[ 2011年7月22日 06:00 ]

<タイガース・アスレチックス>6回、日米通算500本塁打を放った松井はチームメートからハイタッチで祝福される

ア・リーグ アスレチックス7―5タイガース

(7月20日 デトロイト)
 秀さん、おめでとう――。松井の父、昌雄さん(69)は、石川県能美市でテレビのニュースで日米通算500号達成を知った。92年の巨人入団当初からファクスなどで思いを伝え、息子を見守ってきた父が、偉業を祝福する手紙を本紙に公開した。また、松井は自身の記憶に残る本塁打3本を選定。当時の心境や思い入れなどをスポニチ本紙に語ってくれた。

 秀さんへ

 日米通算500号本塁打の達成おめでとうございます。

 ジャイアンツで332本、アメリカ・メジャーリーグで168本も打ったのですね。お父さんにとってこの数字は夢のように感じます。

 今年、プロ19年目を迎えることができた秀さんですが、順風満帆にさえ思えたジャイアンツ時代に比べメジャーに行ってからの秀さんは、まるで天国と地獄を垣間見る毎日ですね。

 2006年の左手首の骨折に始まって、右膝、左膝の手術など3年連続で選手生命が脅かされるケガに見舞われました。しかし秀さんは屈することなく頑張り通しました。

 左手首を骨折した時、秀さんは麻酔が覚めてすぐにお父さんに電話をくれました。お父さんの心は不安な思いで激しく揺れました。秀さんの声にも選手生命を危惧する不安が漂っていました。お父さんも中学生のとき鉄棒から落ちて同じ左手首を骨折したことがあるよと言った途端、「えっ」お父さんもやったのと秀さんの声がはじける明るさに変わりましたね。
 2008年のシーズン終了も押し迫っていた時、左膝痛に見舞われ試合への出場も困難になり手術を数日後に控えていた頃でした。お父さんが急きょ進言した新たな治療の電話に秀さんは熟慮してくれました。そして治療を受け翌日から試合への出場続行が可能になって予定していた手術をシーズンオフに延期してくれました。

 その結果、幸運にも旧ヤンキースタジアム最終年、最終試合にも出ることができ生涯の思い出になるヒットも記録されました。

 翌2009年、秀さんは念願だったワールドチャンピオンに輝きました。さらに想像もできなかったワールドシリーズMVPにまで輝きました。

 今年は新天地オークランド・アスレチックスに本拠を移し心機一転、チーム優勝に貢献すべく期待のスタートを切りました。しかし4、5、6月と結果が出ない毎日が続き、今年は体調が良く楽しみと言っていただけに不振が続く秀さんがとても心配でした。

 そんな中、4号ホームランが出る前の日に、お父さんにくれたメールには、これからチームがとても楽しみです。みんなも楽しみにしてくださいと書いてありました。秀さんの幸せ予告メールは久しぶりでした。

 そして立て続けに5号、6号ホームランを打ち、記念の7号ホームランもすぐに出そうな勢いでした。

 以来、生みの苦しみとでも言うのでしょうか。今日の7号、日米通算500号まで1カ月あまりの時が流れました。本当に長かったですね。

 しかし今日の500号ホームランは、プロ野球選手、松井秀喜の記録の一ページを飾る輝かしいホームランでしたね。

 この喜びを糧に、秀さんのアーチに夢を託すファンの皆さんに応えるべく、これからも夢のアーチを追い続けてください。

 おめでとう。秀さん。

 昌雄

 ◆松井 昌雄(まつい・まさお)1942年(昭17)3月28日、石川県金沢市生まれの69歳。石川県能美市在住で、同市にある「松井秀喜ベースボールミュージアム」館長。著書には息子に送った手紙をまとめた「秀さんへ。」(文芸春秋)や「パパゴジラのまっとうな男の子の育て方」(主婦の友社)などがある。

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