水沢まさかの初戦敗退…佐々木 甲子園の夢は父に託す

[ 2011年7月16日 06:00 ]

<水沢・宮古工>初回2死、水沢は佐々木大が右越えソロ本塁打を放つ

岩手大会2回戦 水沢2-3宮古工

(7月15日 岩手県営)
 父子の対決は実現することなく終わった。高田高校・佐々木明志(あきし)監督(48)の長男で、水沢のエース・佐々木大志(3年)は宮古工戦の初回に右越えソロを放ったが、2―3で初戦敗退。「決勝で対戦」の夢はかなわなかった。数々の苦難を乗り越えて、岩手大会出場にこぎつけた父と、その姿を見続けてきた長男。佐々木監督は、愛息の無念、そしてこれまで受けてきた支援への感謝を胸に、16日の初戦、盛岡工戦に臨む。
【岩手大会結果 抽選日と日程】

 最後まで決勝で父と対戦することを信じていたが、その願いはかなわなかった。2―3の9回2死一塁。最後の打者・上野が三ゴロに倒れるのを見届けると、佐々木大はゆっくりとネクストバッターズサークルで立ち上がった。

 「野球を思う存分やれない沿岸部の人たちと同じ気持ちで、一球一球魂を込めてプレーしたのですが…。父には自分たちの分も頑張ってほしいです」

 今春に準優勝し、第2シードで臨んだ今大会。佐々木大は県内屈指の好投手として前評判が高かったが、この日は3番中堅として出場。初回に右越えソロを放つなどバットでは貢献も、マウンドに上がることなく最後の夏を終えた。「信じられないくらい短い夏になりました。まだ実感が湧かないので涙も出ません」と淡々と振り返った。

 3年前の決断次第では自身も被災していた可能性はあった。高校進学を控えた水沢南中3年の秋。父が監督をしている高田高校に進むか、地元の水沢に進むか迷っていた。「小さい頃は当然のように父と一緒に野球をやるのだと思っていたのですが、次第に父を倒したいという思いが出てきて」。熟慮の末、毎年県大会の上位に進出するチームをつくる父を倒すことを目標にした。「もしあの時、高田高校に決めていたら自分も今頃、生きていたか分からないです。これも運命なのかな、と思いました」

 単身赴任で高田高校に勤務している父からは、たまに自宅に戻ってくるたびに被災地の悲惨さを聞いていた。「高田高校では食事がガム1枚だけだったり、自分が着ている服を被災した方に分け与えたりしてると聞きました」。自分は被災しなかったものの、とても人ごととは思えなかった。

 だからこそ高田高校にも頑張ってもらい、決勝で対戦したかった。抽選の結果、高田高校とは反対ブロックになったため、決勝でしか対戦する可能性はなかった。大会直前の12日には父と久しぶりに対面。「父さんのブロックには花巻東がいるから大変だけど、決勝で会えるといいね」と互いの健闘を誓い合っていた。しかし、まさか自分たちが初戦で敗れるとは思ってもいなかった。

 高田高校とは練習試合では何度か対戦したことがある。4月23日にも対戦したが、このときは4―7で敗れた。「あの時は調子が悪かったので、夏の大会で調子がいいところを見せたいと思っていた」。しかし、楽しみにしていた親子対決を実現することはできなかった。

 「自分たちは負けちゃったのでもう対戦できないですけど、高田高校には仲間を信じて勝ち上がってほしいです」。佐々木大は自分が届かなかった甲子園という目標を父に託した。

 <宮古工 「最高」の大金星!>宮古工は、津波で校舎やグラウンドが水没する被害を受けながら、今春県大会準優勝校を破る大金星。初回に吉川の2ランで先制すると、2―2の4回は敵失で勝ち越し。エース尾形は2失点完投で相手の反撃をしのぎきった。メンバー20人中3人は津波で家を流され、遊撃手の昆野は祖父・克郎さんを亡くした。鈴木主将は「苦しいことを乗り越えて1勝できて最高」と声を弾ませた。

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