震災発生後初マウンド…斎藤、祈りの1回2K

[ 2011年3月15日 06:00 ]

<ブルワーズ・ロイヤルズ>初回、マウンドに上がりセンターを向いて祈る斎藤

オープン戦 ブルワーズ7-5ロイヤルズ 

(3月13日 フェニックス)
 宮城県仙台市出身のブルワーズ・斎藤隆投手(41)が13日(日本時間14日)、、ロイヤルズ戦で震災発生後初めてオープン戦に登板。つらい思いに耐え、1回で2三振を奪った。

 スタンドのファンが掲げた「東北 ガンバレ」と記された応援ボード。斎藤は「東北という文字が心に染みた」と頭を下げると、いまだに連絡が取れない親族や友人らへの思いを胸に、マウンドに立った。

 「今の段階で日本に帰るという選択は諦めた。キャンプを続けようと決断した。それを一番強く願っているのが仙台にいる家族だから…」

 断腸の思いで決断を下した。あとはやるだけだ。試合直前のスタジアムが静寂に包まれる。「斎藤のリクエストで被災者に対して黙とうをささげる」との場内アナウンスが流れると、両軍ナイン、ファンがまぶたを閉じた。マウンドに上がった右腕は、帽子のつばを手でつかみ、視線を落として祈りをささげた。

 「彼を一日中、球場にいさせたくない」というロン・レネキー監督の配慮で先発起用され、1回を4安打2失点。家族の安否確認や情報収集に追われ、心労と睡眠不足が重なった斎藤は本来の姿にはほど遠かった。それでも、2三振を奪った。

 前夜には両親とようやく直接電話がつながり「隆、大丈夫だ、大丈夫だ」と何度も言われたという。ただ、父方の実家は津波被害の大きかった宮城県東松島市の野蒜(のびる)地区にあり、12歳のめいを含め7、8人の親類の安否を確認できていないという。さらに「甲子園で共に戦った(東北高の)同級生のほぼ全員の安否がまだ確認できていません」。不安は日々募るばかりだ。

 その中、19日には横浜市に住む妻子が渡米する予定だ。ようやくの再会に、涙は止めどなく流れるのだろう。

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2011年3月15日のニュース