尾藤氏告別式…箕島高校歌に送られ旅立ち

[ 2011年3月10日 06:00 ]

尾藤氏の告別式で焼香をする明徳義塾・馬渕監督(中)と智弁和歌山・高嶋監督(右)

 6日に死去した元箕島高監督、尾藤公氏(享年68)の葬儀・告別式が9日、和歌山県有田市で営まれた。野球関係者ら約600人が参列し、最後の別れを告げた。

 葬儀は尾藤家と箕島高野球部OB会の合同葬。教え子で同会長、児島昭人さん(60)は「父のように厳しく、母のように優しい。尾藤監督は甲子園そのものでした」と弔辞を述べた。1979年春夏連覇当時の野球部長、田井伸幸さん(61=前日本高野連副会長)は伝説の延長18回を戦った星稜戦後の宿舎で「わいはおまんらの監督で幸せ者や」と語った「至福のミーティング」の文章を読み上げた。

 甲子園の土や尾藤氏が愛したたばこ「KENT」やポテトチップスなどが納められた棺は、星稜戦の球審・永野元玄さん(75=日本高野連顧問)ら4元審判員、星稜高・山下智茂総監督(66=現同総監督)、前箕島高野球部OB会長の西山喜裕さん(葬儀委員長)が抱えた。

 喪主の長男・強さん(41)は「野球に明け暮れた父とゆっくり話せたのは病をしてから。病院の喫煙所で話す時がかけがえのない時間だった」と涙ながらにあいさつした。

 箕島高の校歌に送られての出棺後、車は葬儀場隣の箕島高正門前を通り、同高現役部員46人がユニホーム姿で合掌し、見送った。

 ▼星稜・山下智茂総監督 この2日間、あの試合(79年の延長18回)が夢に出てきて、寝付かれなかった。宝物を失った感じがする。
 ▼智弁和歌山・高嶋仁監督 弱い時から面倒を見てもらった。センバツで1つでも多く勝つことで喜んでもらえる。天国から激励してくれているはずだ。

 ◆主な参列者 脇村春夫(前日本高野連会長)、越智隆弘(日本高野連副会長)、高山武久(同)、山下智茂(星稜総監督)、高嶋仁(智弁和歌山監督)、上甲正典(済美監督)、前田三夫(帝京監督)、福島敦彦(元報徳学園、慶大監督)、村井保雄(元興国、京大監督)、揚塩健治(阪神球団常務)、永野元玄(元高校野球審判員)、植草貞夫(元朝日放送アナウンサー)=敬称略=

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