さようなら尾藤さん 東尾氏「いい思い出は尽きない」

[ 2011年3月9日 06:00 ]

<尾藤公氏通夜>通夜に訪れた東尾修氏

 6日に膀胱(ぼうこう)移行上皮がんのため68歳で死去した元箕島高野球部監督、日本高野連技術振興委員長、尾藤公氏の通夜が8日、和歌山県有田市のフューネラル有浄会館で営まれ、プロ、アマ球界関係者ら約1800人が参列した。

 1968年春の箕島甲子園初出場時のエースで元西武監督の東尾修氏(60=本紙評論家)は仕事の合間を縫って駆けつけ「一番の思い出はきょう、今です……」と嗚咽(おえつ)交じりに言葉を詰まらせた。「15歳と23歳で出会い、甲子園への夢を語り合い、それが実現した。仲間を含め、いい思い出は尽きない」

 79年夏に伝説の延長18回を戦った星稜・山下智茂総監督(66)は「甲子園塾(日本高野連の若手指導者育成講座)で一緒だった。尾藤さんが亡くなり、今後が心配になる」と話した。横浜・渡辺元智監督(66)は「高校全日本の合宿を和歌山で行い、好きな酒を飲みながら夜遅くまで語り合ったことを思い出した」と別れを惜しんだ。

 祭壇は花でボール形にかたどられ、遺影は「尾藤スマイル」そのままの笑顔。棺には日本高野連旗が掛けられた。甲子園球場からは甲子園の土も届けられた。戒名は生涯を野球に傾けたことから「顕球院釋公道」(けんきゅういんしゃくこうどう)と付けられた。

 9日は正午から同所で尾藤家(喪主=長男・強氏)と箕島高野球部OB会の合同葬の形で、葬儀・告別式が営まれる。

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