解禁初日、巨人2軍VS中大“歴史的”ドロー

[ 2011年3月2日 06:00 ]

<巨人・中大>中大・高橋監督(前列中央左)と川相二軍監督(同右)を中心に写真に納まる両軍ナイン

プロアマ交流試合 巨人3-3中大

(3月1日 宮崎・ひむかスタジアム)
 プロ球団と大学チームとのオープン戦が1日、解禁され、巨人の2軍が宮崎市内のひむかスタジアムで中大と対戦。日本学生野球憲章の改正により実現した歴史的一戦は、3―3の引き分けに終わった。試合前は両チームの監督、選手らによる記念撮影が行われるなど、関係者はプロアマの雪解けを歓迎した。

 午後0時30分。球審の「プレーボール」のコールで歴史的な試合が始まった。プロと大学生が一つの白球を追い、勝利を目指した。結果は3―3のドロー。試合終了直後は中大ナインだけが大学野球の恒例行事でもある整列をしようと本塁付近に集まる場面もあったが、緊迫した試合展開に、平日にもかかわらず球場に足を運んだ約200人のファンは選手に温かい拍手を送った。

 2月16日に日本学生野球協会が評議員会で3月と8月に限り、大学の単独チームがプロと試合をすることを承認。解禁日に組まれたのが巨人―中大戦だった。巨人はこれまで社会人チームとの練習試合は行ってきたが、今回は大学生が相手。6回までに5投手が計9四死球を与えて2点のリードを許したが、中盤以降の粘りで追いつき、黒星は免れた。プロの貫禄を見せたかった川相2軍監督は「何もしないで(四球で)塁を与えるのは話にならない」と投手陣に苦言を呈したが、大学との試合については「刺激になる。大学生もプロのいいプレーを見ることができる」と歓迎した。

 試合前の練習中には川相監督と巨人OBの中大・高橋監督が談笑。シートノック後には両軍がマウンド付近に集まって記念撮影も行った。今後も積極的に大学との試合を組む方針の清武英利球団代表(60)は「(プロとアマチュアの)壁が低くなり、お互いが共通理解していくという第一歩になった」と感慨深げ。特に中大は阿部、亀井、新人・沢村ら大学4年間で急成長した選手を輩出しているだけに「どのように育成したのかを聞いたりできるのは大きい」と大学の育成方法も参考にしていく考えだ。

 4回にソロを放った育成枠の伊集院は「うまく叩けたし、自信になる」と笑顔。同じく育成枠で2安打1打点の福元は中大OBでもあり「結果を残せてよかった」と充実感を漂わせた。プロと大学による歴史的な一戦は、双方にとって多くの成長につながるはずだ。

 ≪中大・高橋監督、さらなる交流に期待≫巨人OBの中大・高橋善正監督も交流戦の意義を強調した。「プロを目指している選手にとっては、プロの雰囲気を知るのは大事。自分の力を感じられるいい機会だから、これからもどんどんやってほしい」とさらなる交流発展に期待した。試合は4回に先制し、同点の6回には7番・飯田が大学初本塁打を放つなど、プロ相手に堂々たる内容。高橋監督は「普通にやればワンサイドだよ」と勝ちきれなかったことを悔しがったが、飯田は「プロのプレーを見るのは自分たちのためになる。練習の様子も参考になりました」と話した。

 ≪中大OB巨人・阿部の父も観戦≫中大出身の巨人・阿部の父で、同大野球部OBの東司(とうじ)さん(55)がスタンドで観戦した。「歴史的な試合をどうしても見たかった」と、この日の午前中に千葉から宮崎入り。同点という結果には「お互い、負けなくてよかったんじゃないですかね」と笑顔。最後は「プロは負けられない試合。大学生にとってもいい経験になる」と今回の試合の意義を語った。

 ◆1日から施行されたプロアマ交流とアマ資格回復に関する運用規則の主な変更点

 (1)試合 大学の授業が休みとなる3月と8月にプロ(NPB)との試合が可能に。観客からの金銭の徴収は不可。
 (2)練習 プロ選手(NPB)の自主トレが条件付きで母校以外も容認。練習相手や監督の転勤などのケースを想定したもの。
 (3)資格 高校の場合、プロ退団者は教諭として2年以上在職することが必要だが、臨時的任用講師の経験も教諭経験に含まれることに。

 ◆プロと大学の交流

 ▼1908年 米国のプロチーム「リーチ・オール・アメリカン」が初来日。早大、慶大などが対戦し、日本側は0勝17敗と全敗を喫した。
 ▼32年 文部省が野球統制令を発令。学生がプロチームと交流することを禁じた。
 ▼34年 ベーブ・ルースら大リーグ選抜が来日も、学生は野球統制令により対戦できず。
 ▼47年 野球統制令廃止。
 ▼49年 サンフランシスコ・シールズが来日。東京六大学選抜などと対戦。
 ▼50年 日本学生野球憲章が誕生。野球統制令の影響は残り、プロとの試合は認められず。
 ▼61年 柳川事件。社会人側はプロ退団者の受け入れを拒否し、学生野球協会も同調。プロアマが断絶状態に。
 ▼95年 東京六大学選抜とプロのOB選抜が対戦。
 ▼96年 東都大学選抜とプロのOB選抜が対戦。
 ▼05年 元プロの大学監督就任が認められる。
 ▼09年 大学日本代表とU―26NPB選抜が対戦。斎藤(早大―日本ハム)と坂本(巨人)の対決が実現。
 ▼11年 大学単独チームとNPB所属のプロ球団との試合が解禁。

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