プロ野球戦後初の外国選手 与那嶺要氏が死去 

[ 2011年3月1日 20:32 ]

 プロ野球の戦後初の外国人選手として巨人と中日でプレーし、中日では監督も務めた与那嶺要(よなみね・かなめ)氏が2月28日(日本時間1日)、前立腺がんのため米ハワイ州ホノルル市内で死去した。85歳。ハワイ・マウイ島出身。葬儀・告別式はホノルル市内で行うが、日時は未定。東京都内でもお別れ会を開く予定という。

 日系2世で来日前には米プロフットボールの名門49ersでプレー。米国のマイナーリーグを経て1951年に巨人へ入団。走攻守に優れ、米国仕込みの走塁や激しいスライディングを日本に持ち込んだ中堅手で首位打者を3度獲得。「ウォーリー与那嶺」として親しまれた。57年にはセ・リーグ最優秀選手(MVP)に輝き、61年に中日に移籍した。ベストナインに7度選出され、現役通算1219試合出場、打率3割1分1厘、82本塁打、482打点を残した。

 引退後にロッテのコーチを務めた後、中日の監督に就任。74年には巨人の10連覇を阻み、20年ぶりの優勝を果たす。その後も西武などでコーチに就き、94年には野球殿堂入りした。(共同)

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