イチロー「いきなりずっこけた」

[ 2011年1月1日 10:21 ]

 マリナーズのイチロー外野手(37)が昨年、共同通信のインタビューに応じ、区切りのメジャー10年目を振り返った。チームの低迷とともに、自らも夏場に苦しみながらも、連続シーズン200安打を10年に伸ばした。その心境を吐露するとともに、10年前にメジャー移籍を実現させるために選んだポスティング・システム(入札制度)についても言及した。

 ――このオフの過ごし方は。
 「ゴルフですね。野球ではほとんどできたことがないのに(手が)まめだらけですよ。野球もゴルフもきっと、下手くその手は汚いってことでしょうね」
 ――例年、この時期も打撃練習やキャッチボールを欠かさない。
 「バットもボールもほとんど握っていません。ゴルフであっちこっち(ボールが)行ってしまうので(体は)トレーニングよりきついですけど」
 ――バットを振らないと気持ち悪くなる。
 「気持ち悪いのはティーショットが真っすぐ飛ばないときでしょうか。まあ、こちらで10年たって、そろそろゴルフをやってもいいんじゃないか、という時期が来たのかな、と思っています」
 ――10年目の余裕か。
 「余裕かどうかは周りが判断することですから僕には分かりませんが、10年やり終えたことで、ほっとはしているんでしょうね」
 ――7月の月間打率、安打数とも10年目で最低。特に夏場に苦しんだ。
 「4月から気持ちよくなかったんですよね、ずっと。(厳しい事態が)いつか来るぞ、という状態でした。よくあれで(シーズン中盤まで)結果が出たと思います」
 ――打撃にはチェックポイントがたくさんある。一つ一つが完璧に微調整され、やっとそのシーズンを戦うための基本型が完成する。
 「毎年のことですが4月は感覚を把握する月になる。だから、4月に結果が出ない年のほうがトータルでは良かったりすることが結構あります。4月に結果が出てしまうと、修正が必要かどうかの判断がしづらいし(問題が見つかった場合は)シーズンが終わりに近づくほど修正が難しくなる。バッティングは(修正という意味で常に)動いているし、でも(一つの方向に)傾いてはいけない。このバランスをどう保てるか。難しい、などという生易しいものではない」

 ――期するものが大きかったシーズンも正反対の現実。
 「本拠地の開幕戦でランディ・ジョンソンが始球式を務めたとき、かつてチームメートだったダン・ウィルソンやエドガー(マルティネス)、ビューナーにジュニア(グリフィー)がマウンドに集まった。あの光景が凄くうらやましかった。と同時に、これだけシアトルで長くプレーしているのに僕には彼らのような存在がいないな、とも思ってしまいました。フェリックス(ヘルナンデス)やフィギンズがそんな存在になればいいな、そのためのスタートの年にしたいな、と思っていたのに、いきなりずっこけてしまいました」
 ――特に衝撃が大きかったのはグリフィーの突然の引退。
 「確実に殿堂入りする実績があって、いつも奔放に振る舞っているように見える人ですが、実際は他の人のことを細やかに気遣うことを常にしてくれていた。そんなジュニアが傷ついて去ってしまったことがつらかった」
 ――メジャー行きが実現するずっと前から、グリフィーは唯一無二の憧れだった。
 「ジュニアと同じチームでシーズンを戦うことなんて、起こりえないと思っていましたからね。毎日一緒に時間を過ごしていても、これは特別なことなんだ、という気持ちが常にありました」
 ――若手中心のチームは2年ぶりに101敗。
 「2年前にいた選手たちはもうほとんどいないですし、あの頃と違うことは誰もが分かっている。ただ10年を終えた僕には、まだこの段階にいるのかという思いもある」
 ――ここ数年はチームは少し上向いては大崩れの繰り返し。
 「いい補強ができたという思いもあったし、みんな希望を持っていた。その上でこの結果ですから、これからは簡単に目標を口にするのは難しいな、と思います」

 ――渡米当時を振り返る言葉には、当時の強い決意がうかがえる。
 「一刻も早くメジャーリーグに挑戦したかった。そのための唯一の手段がポスティング(入札制度)であり、フリーエージェント(FA)を待てば(それは)つらい時間になると想像しました」
 ――代理人のアタナシオ氏は、当時のイチローが入札相手や契約内容にこだわらず、いかなる状況でもプレーする覚悟だったと証言している。
 「チームを選択できないことや交渉時間が限定されていることなど、選手側に不利に見える制度ですが、そもそも(自分は)アメリカでは何の実績もなかったんですからね。リスクを受け入れる覚悟がなかったらポスティングで行かせてくれ、なんて言えません」
 ――史上初の日本人野手として、その後のモデルケースになる可能性があった。その責任感は。
 「評価はまず実績を残してから、と。その意味では日本でドラフトされた時の気持ちに似ていました」
 ――その後多くの日本人選手が海を渡り、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)連覇もあった。日本球界には日米の距離が縮まったという見方もある。
 「多くって言うんですかね、この数で。実際に(大リーグに)触れた人間があまりに少ない上、歴史と言えるほどの時間が経過していない中で、(日米の野球の比較)評価をできる人間なんているのでしょうか。いろんなものが成熟していかなくてはいけない、ということでしょうね」

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2011年1月1日のニュース