ジャイアンツ総力V!“新庄以来”のWS進出!

[ 2010年10月25日 06:00 ]

ナ・リーグ優勝を決め、喜ぶジャイアンツのポージー(右)とウィルソン

 【ジャイアンツ3-2フィリーズ】執念継投が実を結んだ。ナ・リーグ優勝決定シリーズ第6戦は23日、フィラデルフィアで行われ、3勝2敗で迎えたジャイアンツが接戦を制し、3―2で勝利。新庄剛志元外野手(38)が在籍した02年以来、8年ぶり18度目となるワールドシリーズ進出を決めた。第5戦に先発したエース、ティム・リンスカム投手(26)を中1日で救援に投入するなどブルース・ボウチー監督(55)の積極采配が、リーグ3連覇を狙っていたフィリーズを倒した。レンジャーズとの顔合わせとなったワールドシリーズは27日(日本時間28日)、ジ軍の本拠地サンフランシスコで開幕する。

 守護神ウィルソンは最後のアウトを見逃し三振で奪うと、右手で十字を切って雄叫びを上げた。4万6062人の敵地ファンを尻目に、ジ軍ナインは歓喜の抱擁。その中でリンスカムはちょっぴり控えめに、「信じられない。子供の頃に描いていた夢が現実になった」と喜びを口にした。
 08、09年サイ・ヤング賞に輝いた右腕は、最後までフル回転した。ブルペンで投球練習を始めた直後の8回2死、ウリベの右越えソロでジ軍が勝ち越し。「1点リードしたらセットアッパーで使うと伝えていた」というボウチー監督の構想が現実になり、第5戦で7回104球を投げたリンスカムが、中1日で8回裏のマウンドに上がった。レギュラーシーズンを含めても救援登板は自身2年ぶり2度目。先頭打者から三振を奪った後、2連打を浴びてマウンドを譲ったが、ウィルソンが残りの1回2/3を締めた。先発J・サンチェスが乱闘騒動を起こすなど3回途中降板したが、5回からは第4戦先発のバムガーナーも中2日で投入する執念継投が実り、フ軍打線を2回以降は無得点に封じ込めた。
 「第7戦に持ち越したら流れが相手チームに行ってしまうと分かっていた。全力を尽くして、すべての策を使って立ち向かった」とボウチー監督。この日を含め、ポストシーズン7勝中6勝が1点差勝利。登板7試合で5セーブ、防御率0・00のウィルソンは「このチームらしい勝ち方」と胸を張った。
 リンスカムは中3日となるワールドシリーズ第1戦でも「当然先発するつもり」と力を込めた。球団が最後にワールドシリーズを制したのはニューヨーク本拠地時代の1954年。フィリーズの3連覇を阻んだ勢いそのままに、若きエースがサンフランシスコに初の栄冠を届ける。

 ≪ナ・リーグ球団最多タイ≫ジャイアンツのリーグ優勝は1リーグ時代などを含め通算21度目。ワールドシリーズ進出は18度目で、ドジャースと並びナ・リーグ球団最多タイとなった。過去17度のうち5度制覇しているが、世界一から遠ざかっている年数はカブスの102年、インディアンスの62年に次ぐ55年。球団創設50年目で初のワールドシリーズ制覇を目指すレンジャーズとの対戦が注目される。

 ◆ジャイアンツの2002年ワールドシリーズ エンゼルスと、史上初となるワイルドカード同士の対決。第1戦にボンズの初打席本塁打などで先勝し、新庄も9番DHスタメンで1安打。ジ軍が3勝2敗で先に王手も第6戦で5―0から逆転負けを喫し3勝3敗に。第7戦で勝ったエ軍が創設42年目で初制覇を果たした。新庄は第5、7戦に途中出場。第7戦は1―4の9回1死一、二塁で代打も守護神パーシバルの前に空振り三振に倒れ、3試合合計で6打数1安打に終わった。

 ◆サンフランシスコ・ジャイアンツ 1883年にニューヨーク・ゴサムズとしてナ・リーグに参加、86年からジャイアンツに。1958年にサンフランシスコに移転した。ワールドシリーズ制覇はニューヨーク時代に5度あるが移転後はない。ウィリー・メイズら名選手のほか64、65年には日本人初の大リーガー村上雅則が在籍。シーズン73本、通算762本の本塁打記録を持つバリー・ボンズが2007年までプレーし、新庄剛志、藪恵壹(現楽天)も在籍した。本拠地はAT&Tパーク(収容4万1915人)。

続きを表示

2010年10月25日のニュース